2003年6月22日 エフェソの信徒への手紙6章10〜13節 松本雅弘牧師
今日の個所の10節の最初のところでパウロは「最後に言う」と、この手紙の締めくくりの部分を語り始めました。すなわち「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」と勧めるのです。今日は、このパウロによる最後の最後の教えに、ご一緒に耳を傾けていきたいと思います。
最初に注目したい点は何か、この現実の世界が《悪魔の策略が渦巻く世界である》ということであります。「悪魔なんて本当にいるのか?」と思われる方もいるでしょう。しかし聖書は悪魔の存在を教えます。では、一体どのような者として聖書は教えるでしょうか。ヘブル語で「サタン」、そしてギリシャ語で「アンティディコス」という言葉が使われていますが、これは「訴える者」、「敵対する者」、「試みる者」という意味があります。つまり、一言で言えば、神様と私たちの関係を破壊する者が悪魔であります。そのことを目的として生きているわけであります。ですから、どうでしょう。最初から神様との関係が問題されないような状態にある時、悪魔は強く働きません。しかし〈御言葉に真剣に生きていこう〉と心に決めて歩み始めるとき、つまり、私たちの信仰が目覚め、キリスト者として自覚的に生きることを始める時、〈これは大変なことだ!〉と言って、目の色を変えて働くのが悪魔であります。悪魔が目の色変えて動き出すのは、私たちが「隣人を愛しなさい」という御言葉を学んだだけではなく、御言葉に従って、〈現実に、隣人を愛そう!〉とし始めた時であります。そして、もっと言えば、私たちが〈隣人を愛そう!〉と始めるときに、残念ながらそうすることの出来ない自分自身と出会う。そうして、10節にありますように、そうした無力さを素直に認めて、「主に依り頼み、その偉大な力によって強く」されていく。その結果、愛せない自分が変えられる経験をしていく。これほど悪魔の嫌がることはないのであります。いずれにしても、このような現実の中で、私たちは悪魔の策略にさらされていることを、パウロはもう1度、私たちが思い起こすようにと教えるのであります。
では、こうした厳しい現実において、私たちはどうしたらよいか、という問題です。ここでパウロは3つのことを説いています。第1に10節、「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」ということです。「主に依り頼む」と言う姿勢は信仰生活の基本です。自分の力ではなく、神様の力に任せるということであります。しかし、これがなかなかできません。つまり、泳ぎの下手な人が、泳ぐかわりにいつも足でもって歩こうとすることに似ています。ですから神様は、私たちに、神様の御手に身を任せる信仰ということを教えるために、少々、足の付かない深みへと導かれます。それが「信仰の訓練」であります。ところが、これはともすると、神様との関係を破壊する「誘惑」になる恐れがあると警告するのがヤコブ書であります。何故、信仰の筋肉を鍛える訓練の出来事が、私たちを神様から離す誘惑となるのでしょう。それは、その時に一生懸命、自分の足で立とうとするからです。神様への信仰を働かせる代わりに、神様以外のもので問題解決をはかろうとするからであります。「主に依り頼む」ということは、御言葉を信じて生きることであります。
第2にパウロは「悪魔の策略に対抗して立つことができるように」(11節)と言いました。「悪魔の策略」とは何でしょうか。この点についてC・Sルイスの『悪魔の手紙』がとても参考になります。「悪魔の策略」の最終目的は何でしょう。それは神様の御計画を阻止することです。ですから、神の国が前進のための担い手である教会やクリスチャンを躓かせることが、策略のポイントであります。神様と私たちの関係を複雑にし、難しくすることです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」とイエス様がはっきり言われたように、結局、私たちをキリストから離して、何もできなくさせることであります。そのために仕事を用いるかもしれません。仕事を忙しくし、楽しくし、夢中にさせ、結果的にその人を礼拝から遠ざけることをするかもしれません。また、「悪魔などいない」という「信仰」を持たせることによって、無防備にさせることも策略の1つでしょう。また、12節に「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく」つまり、人間相手ではなく、「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」とありますように、私たちの敵が、実は目に見える人間と錯覚させることです。つまり悪魔は仲の良い者たちを《同士討ち》へと導こうとします。
さらに、10節に「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」とありますが、悪魔はこの逆をするようにと私たちを誘います。つまり、自分により頼み、専門家により頼み、あるいは、薬により頼み、神様以外のものならば何でも良いのです。結局、私たちを神様以外の物により頼ませようとするのであります。神の敵対者は、「健康があれば」と思わせます。「お金があれば」と思わせます。「教育があれば」と考えさせます。そして、そのために時間とエネルギーを集中するのです。その結果、健康が与えられ、お金がもうかるかもしれない。立派な経歴が身につくかもしれません。しかしそれら良き物を獲得するために、実は「主に依り頼む」という私にとって最も必要で、最も大切なものを、悪魔は代価として、しっかりと手に入れてしまったのであります。言い換えれば、どうでしょう。悪魔はベストの1つ手前のベターなもので満足させようとする天才です。
そして3つ目のポイントですが、ではこうした悪魔の策略を前に私たちはどうしたらよいでしょうか。パウロの結論は、自分の力により頼むことから、主により頼むという信仰に切り替えた上で、神様の武具を1つ1つ身に着けていくことであります。
以上が今日の個所です。パウロは、「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」と語りました。確かに私たちは弱い者です。しかし、私と共におられる主は偉大なお方です。私たちの神は、すべてのものから、最悪ものもからさえも、善を生ぜしめることができ、それを望んでおられる方です。そして、そのため、すべてのことが働いて、益となるように奉仕する人を必要としておられる神様です。私たちの神様は、どんな困難にあたっても、わたしたちが必要とするかぎりの抵抗力を与えてくださいます。このお方により頼んで、この1週間、歩んでいきましょう。お祈りします。