─ Selah pheno sia ─
◆ミオ・レンティアのとある夜のこと
名詠専修学校トレミア・アカデミーの抱える生徒数は千五百人を数える。
生徒が多ければ部活に入る生徒も当然多く、トレミアには他の名詠学校には見られない部活が数多く存在する。
その一つが『ミステリー研究会』である。
ミステリーと言えどその実体は「放課後特にすることのない生徒たちが何となく集まって時間を潰す」
ためのものであり、活動もせいぜい年に1〜2回、ミステリー研究と称して肝試し大会を実行する程度だろう。
その部室に、真夜中にもかかわらず部屋に籠もって本を読みあさる制服姿の少女がいた。
ミオ・レンティア。癖のある金髪に、実際の16歳より2〜3歳は幼く見える背丈と童顔の少女だ。
普段は友人のクルーエルの女子寮に泊まるところ、今日は彼女の都合で泊まれなくなり、しかたなく
部室で一夜をしのごうというわけだ。
「おいーっす、ミオいるかい?」
その部室の扉が、ノックもなしに勢いよく勝手に開いた。
開いた扉の先に立っていたのは、こちらは体操服姿のクラスメイト。赤銅色に日焼けした肌に亜麻色の髪、どことなく
猫を思わせる顔だちの少女──エイダである。
「あれ、エイダがウチの部室に来るのって珍しいね」
ぱちくりと目を瞬かせるミオに、エイダは胸を張りながら
「ふっふっふ、頼み事があるのだよ!」
ばさり、と白紙の紙束を机に置く。明日が期限であるはずの宿題というやつだ。
問題用紙は白紙も白紙。名前だけ書いた問題用紙には皺一つ入ってない。
「……エイダ?」
「し、仕方ないだろ! ……って、そんな悲しい目で見るな! 頑張ったんだよあたしなりにっ!」
腕を振りまわすエイダに苦笑しつつも、ミオは気軽にうなずいた。
「あー、いいよ〜でもちょっと待ってね。書きかけのセラフェノ音語レポートがあるの」
「書きかけのレポートね。ああ、今読んでた本もそのための資料?」
「ううん、これは息抜きの推理小説。ちょっと待ってね、あと10Pくらいでいよいよ犯人が──」
本にかじりつくミオ。こうなった時のこの少女は、他人の声を完全に遮断する特技を持つ。
「……やれやれ、じゃ、あたしはここで待たせてもらうからね」
彼女を待つ間、エイダは机の上にほったらかしのレポートとやらをちょっとだけ読ませてもらうことにした。
■セラフェノ語辞典の慣用句■ 『O Sia Selah pheno』 辞書(ハードカバー)の黒表紙に金字で印刷されてあるような、 最も代表的な言葉である。 直訳は『Selah の pheno(名前)を 讃えなさい(O Sia)』 99%解読が進んだセラフェノ音語において、ただ一つと言ってよい未解読単語。 この単語があるがゆえに、セラフェノ音語は不可触言語と称されている。 この単語の意味を理解した時、セラフェノ音語の本当の意味も判明するとされている。 ところで、phenoという単語も現代ではあまり用いられることがない。現代では 名前=nehheであり、これもどのような時に用いられるのか具体例が非常に希少なもの となっている。また、場合によって『名前』ではなく『愛』という意味もあるという 学説もあるが、真偽は不明。 しかし現代では、もはや『Selah』の解読は不可能と諦める声が大きい。そのため、 『O Sia Selah pheno』は『不可能なこと』という意味での慣用句として用いられている。 それが辞書に載せられているのは、『不可能なことにも挑戦せよ』という戒めの意味から。 ……でも! そういう意味では、あのカインツ様なんかまさに『不可能なこと』に挑戦したわけよね! なんてったってあの虹色名詠士なんだもん。 まあ、それならネイト君の夜色名詠もそうだったんだっけ。 あはは、身近過ぎて忘れてた〜♪ 『Selah』、今はまだ分かんないけど、いつかあたしが解読できたらいいなぁ。 たとえば、この単語が出てくる時って必ず大文字なのよね。てことは特別な意味を持つ可能性が 高い気がするんだけどなあ。『I(世界)』とか、『Ies(色)』とかも大文字なんだよね。 ……あれ、でも……そういえば、この単語あたし聴いたことある? 誰だっけかなぁ。そんな前のはずじゃないと思うんだけど…… あ、あれれ……たしか……ネイト君の『あの名詠』の最後に、この単語が……………… ちょ、ちょっとクルル! ネイト君どこ行っ────(ここで途切れている)
「……ミオさあ、これ途中からあんたの日記になってない?」
「えへへ、だから終わってないって言ったじゃない」
読み終わったらしき推理小説をミオが鞄にしまう。と、そんなミオはふと真顔に戻り
「でもセラフェノ音語といえばね、この前ミラー先生が廊下でブツブツ変なこと言ってたの」
「ブツブツって?」
『現在には確認できないこの文法……単語、つまり通常のセラフェノ音語に隠された別言語?
さしずめ真言とでも……だがしかし、なぜクルーエル・ソフィネットの答案に。
無意識下の、すなわち心の深奥に潜在的に眠るメッセージ……なのか?』
「ほら、クルルが病気の時、ケルベルク研究所に手当を受けに行った時の頃だよ」 ミオの台詞にはエイダも思いあたるものがあった。 あれは確か二ヶ月ほど前のこと。クルーエルが試験中に突然意識を失って倒れた時のことだ。 体調は一向に回復せず、自分の知り合いの研究所の治療施設に彼女を運んだといういきさつがある。
でも、今はクルーエルの体調も回復してる。あの時の懸念の一つであった灰色名詠も解決した今、
エイダにとって最も急を要する課題は目の前の宿題だ。
「うーん。まあいいんじゃない? それに、今は宿題のが大事だし。ほらミオ、読み終わったなら手伝って!」
「あはは、エイダ、次宿題忘れたら女子トイレ掃除一ヶ月の刑だもんね!」
こうして、少女たちの夜は更けていく。
──『ミオ・レンティアのとある夜のこと』、終
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