戦後初の三冠王。8年連続パ・リーグ本塁打王。通算657本塁打。

捕手という厳しいポジションでありながら、パ・リーグの打撃成績を全て塗り替えた

大打者であり、監督としても日本一3回に輝いた名将である。


そんなスーパースターでありながら、野球人野村克也の原点は

「自分は不器用だ、自分は二流だ」。と認識したところからスタートした。

南海ホークスへはテスト入団。誰からも期待されず、最初の3年はシーズンオフには

自由契約の宣告に怯えていた。

4年目に本塁打王のタイトルをとったが、そこから更に壁にぶつかった。


「そりゃそうやろう。相手もこちらのことを研究してるわけですから。

いつも同じバッティングをしていたら、その裏をかかれるのはあたりまえや」(野村)



・・・変化球に弱かった。カーブにクルクルバットが回ってしまう。

肉体的な努力、技術的なセンスには限界がある。

この限界を知った時、プロとしての本当の戦いが始まる。と野村は言う。

「知力には限界がないんです。そんなところからデータを重視する『私の野球』が

始まったわけです。二流の選手が天分のある選手と同じ事をやっても仕方がない。

ピッチャーのクセ、投球傾向を研究して、自分でデータを整理した。すると

70%〜80%の確率で狙い球が絞れるようになった」(野村)




ちなみに、ピッチャーのクセや傾向から狙い球を絞ることのヒントは、
テッド・ウイリアムスの「バッティングの科学」という書物から得たという。


パ・リーグの看板選手として、セ・リーグの選手達にはライバル意識を燃やした。

特に、同じ本塁打王として華やかにスポットライトを浴びる王には、執念を燃やした。

野村が王に対してことさらに猛烈な闘志を燃やしたのは、1965(昭和40)年から維持していた「通算本塁打記録」のトップを王に奪われた1973(昭和48)年頃だった。

このシーズン、野村38歳。既に力は衰え、記録を王に抜かれる事は達観していたつもりであった。

だが8月8日に王が通算563号本塁打を打ち並ばれた時、野村の意地が突然頭をもたげ、常識では考えられない力を呼び起こした。

8月10日に1ヶ月ぶりとなる564号をキッカケに、王が打つとすぐに追いかけて野村も本塁打を放つという抵抗が、なんと20日近くも続いた。


8月29日に王が572・573号を連発したところで、ついに野村の抵抗は力尽きた。


「あの時の悔しさ、寂しさと言ったらなかった。なぜセントラルの投手はあんなに打たれるんだ?オレなら絶対打たれはしない」(野村)


ここで興味深いデータを。

オールスター戦での「王の意外な不振」は、このサイトを訪れるファンなら周知の事実だろう。

60打席本塁打ゼロ。通算打率.213 公式戦でもなかった38打席連続ノーヒット。

日本シリーズでパ・リーグ優勝チームのエース達をことごとく粉砕してきた王のバッティングが、なぜオールスターでは爆発しないのか?



その理由は「捕手・野村克也」の意地にあった。

通算本塁打の激しいデッドヒートを繰り広げた1973(昭和48)年からの王のオールスター打撃成績を、野村が捕手の時とそれ以外の時で集計してみると

野村が捕手の時の成績は
39打数で僅か3安打の打率.071、本塁打ゼロ、打点もゼロ。

野村が捕手の時に王が本塁打を放ったのは、1970(昭和45)年の第一戦で近鉄の鈴木以来で、連続60打席0本塁打に完璧に抑えている。

一方、野村以外の捕手の時は
54打数12安打。5本塁打、12打点。



野村が捕手の時には外野に飛んだ打球さえ僅か3本であったことを考えると、「野村の執念」は王へのリードに表れていたと考えて間違いないようだ。




                                             


野村 克也 (南海/楽天監督)