神田神社は、かっては徳川幕府の総鎮守として祭りの行列を江戸城内に入れることを許され、日枝神社の山王祭とともに「天下祭」と呼ばれた。しかし、明治維新で拠り所だった将軍家を失い、当時の祭りの主役だった山車も電線の普及で引けなくなり、各町自慢の山車が地方の祭に身売りされるなど衰退してしまった。祭り好きの神田っ子は、山車に代わって神輿を競って造り、2003年は江戸開府400年祭ということもあり、町神輿の数は100基にも達した。日曜日、これら神輿が宮入し、神田祭は最高潮に達する。前日の土曜日には3基の鳳輦を中心とした総勢300人の神幸行列が1日をかけて氏子町内を巡行し、沿道は見物人で埋め尽くされる。