王子田楽舞   
8月第1日曜日   王子神社(03-3907-7808
(北区王子本町1-1-12JR,地下鉄南北線・王子)
王子神社の例大祭は槍祭と称されるが、これは、「御槍」という、槍の形をした古伝のお守りが授けられるためだ。この例大祭の日に、王子田楽舞が奉納される。農村の田植唄から発生し、平安期に盛んとなりやがて猿楽、能楽へと発展して行ったとされる田楽は、今では全国に僅かしか残っていない貴重な芸能となってしまったが、その中で王子田楽は田楽固有の特徴を保持し続け、往時の日本の伝統文化の高さを今に伝えている。七度半(しちどはん)の儀礼、7本の太刀を帯びた異形の武者「四魔帰」などを伝える王子田楽は、昭和19年以来途絶えていたが昭和58年に復興され30町会で「王子神社田楽舞保存協賛会」をつくり、王子田楽衆を支援している。
王子田楽舞  とんがり烏帽子風の花笠を被った2名が子魔帰(こまがえし)と呼ばれる神童役。他の6名はお付き。田楽芸は笛や太鼓にあわせ鼓、ささら、小太鼓を持ち2列になったり輪になったり、入れ違ったりして舞い、踊りというより足の所作を繰り返すといったほうが適当なものだ。
七度半(しちどはん)の儀礼  田楽の一行を王子神社宮司が招く際、「七度半」のお使いを立てる。お使いは社殿と田楽方の間を七回半行き来してやっと田楽方の登場が叶うという全国でも数少ない儀礼。写真はお使いが田楽方に断られているところ。
氏子総代による槍合わせ  王子神社は槍に関係が深いが昔、三代将軍家光が幼少の頃、乳母春日局が槍を奉納した所将軍になったという言い伝えから、王子神社の祭礼時に御槍を受けて祈願すれば災厄除去・満願成就と伝えられ、槍祭と称されるようになった。
王子田楽四魔帰武者   王子田楽の踊手は8名だが、その一行を鎧武者が警護する。その警護の武者のうち二人が四魔帰と呼ばれるのだが、白衣の上に甲冑を着け、左に四刀、右に三刀の大きな太刀を七本づつ身に帯び長刀を持っている。そして一人は背に幣帛を、一人は背にススキを背負っている。これは大きな、多くの力を表現し全国に例を見ない名物的存在だ。田楽本来の呼び名は「尻巻(しまき)」だが、王子田楽ではとくに「四魔帰」と当て字して、悪魔を退散させる田楽の思想を織り込んでいる。

次のお祭へ

前のお祭へ

8月の目次へ

あ行の目次へ

北区の目次へ

王子の地名 王子村は荒川の上流から見て氾濫原の右岸にある台地であったことから古くは岸村と呼ばれたが、元亨2年(1322)に、この地の領主であった豊島氏が、紀州熊野三社より勧請し、若一王子権現(現在の王子神社)を建立したことから王子村と改称したのだという。岸村の地名は王子村の台地東縁に岸という字名になって明治以降まで残り、現在は岸町1丁目、2丁目になっている。
田楽と田植え唄  我々の祖先は稲が豊作か不作で一家の生活が大きく左右されたため、稲は大変貴重なもので、稲の中には稲霊(いなだま)がいると信じてられていた。そこで唄声や舞踊りの力で田や地面の中にいる稲霊を起こし、その年が豊作になるよう祈ったのである。また、一方で歌を唄い、舞い踊ることで、農作業の辛さを忘れ、豊作時の喜びを体であらわした。豊作を祈る稲作儀礼から、多くの伝統芸能が生まれたが田楽を舞い、神に感謝しながら田植えを行うのは大切な文化だ。 「王子田楽舞い」、東京のかっての農村地帯板橋で行われている稲作の物まねをする「田遊び」、三社まつりに奉納される「びんざさら舞い」などの形で今なお伝承されている。