6年3組物語 第0話(序章)

転校生

「それじゃ、行ってきま〜す…」
「真奈!新しい学校に行く初日ぐらい、もっと明るくしなさい!」
「だってぇ…」
「だってじゃないの!あなた自身がそんなじゃできる友達もできないわよ!」
「…でもぉ…ほんとに大丈夫かなぁ……」
「大丈夫!お父さんとお母さんは、真奈のために一番いい環境を選んであげたんだから。
さっ、元気出して行ってらっしゃい!」
「はぁぃ…」
「ほらっ、また背中丸めて!最初の日が肝心なんだから、もっと胸張るの!
がんばりなさいよ、真奈!私たちが手を貸してあげられるのはここまでで、あとは自分の力なんだから!」
 ある穏やかな春の日。
あまりさえない表情で自宅のドアを開けて外に出た少女を、彼女の母親と思われる女性が何やら励ましながら送り出す。
少しオドオドと、決して軽いとはいえない足取りで、ランドセルを背負った少女は新しい学校に向けて歩き出した。

 彼女の名前は、横川真奈。
この4月に、隣の県からこの地区に家族そろって引っ越してきた小学生だ。今年度から、6年生になる。
しかし彼女は、世間一般の目から見て女子小学生と呼ぶには少し違和感があると言わざるを得ない。
…大きいのだ。
彼女の身長は現在、179cm。あと少しで、180の大台に乗ってしまう大きな身体だ。
よくテレビの番組で、背の高い女性タレントの幼い頃の写真を公開して
『中学生の時点で170cmありました』などという言葉に客席からどよめきが広がる場面を見るたび
真奈は憂鬱な気分に陥る。
…それでは小学生の時点でその人より10cm近くも高い自分がその場にいたらどんな扱いを受けるのかと。

 彼女の背に負われている赤いランドセルは肩紐を最大限に伸ばしてもまだ足りず、
応急的な措置として本来穴のない部分にキリで穴が開けられて、そこに金具が通され背丈にあったサイズとなっている。
しかしそれも彼女の大きさに対しては十分な対策とは言えず、またその背中の広さに対して鞄の部分は非常に小さく見える。
事故などに遭った際に背中を守るという役目もランドセルにはあるのだが、この真奈の大きさでは到底守りきれそうにない。
それでも彼女がこの窮屈なランドセルを着用し続けるのは、前年度まで通っていた小学校ではそう義務づけられていたからだ。
彼女のようにランドセルが背負えない体格の生徒が現れることを想定していない、古い頭で作られた校則が。
小学生はこういう格好をするべきものなのだという意識を、真奈は前の学校によって植えつけられていた。


 …彼女がこの春から学校を変わることになった理由。
それは、彼女の身長こそが全ての原因だった。
真奈が5年生の3学期までを過ごした隣県の市立A小学校では、やはり全学年を通じて彼女が最も大きな生徒だった。
大人の関係者を入れて考えても、真奈より上に頭があったのは若い男性教師2名だけ。それもごく僅差で。
真奈に次いで2番目に身長があった生徒は、6年生の男子で163cmだった。
ましてや真奈は当時まだ5年生。クラスの集合写真では一人飛びぬけて高い位置に頭がある。
そんな中、クラスの意地の悪い男子生徒が彼女に仇名をつけた。
『電柱』。
当然、彼女は大きく傷ついた。

 もともと真奈は誰にでも明るく接することのできる、クラスで人気のある女子生徒だった。
それに異変が起こり始めたのは3年生の3学期頃だ。
その頃から急激に真奈の身長は伸び始め、周りの友達を置き去りにしてぐんぐん高く成長を遂げていった、
4年生で170cmを突破、同級生からはまさに見上げる存在となった、真奈。
昼休みにボール遊びをすれば、真奈にボールが渡ればもう誰も奪い取れるものはいなかった。
それでもその頃までは、『少し大きいだけで中身は他の子と変わらない楽しい子』として誰とでも仲良く遊んでいられた。

 しかし、5年生になってからそんな楽しいときが終わりを告げた。
その年から同じクラスになった一人の男子から、あんな仇名で呼ばれさらに暴言を浴びせられる。
『デカ女』、『化け物』…
その男子はクラスで何か人と違う者を見つけては仲間と一緒になって嫌がらせをする、いじめっ子の少年だった。
太っているとか、耳が大きいとか、家が貧しいとか、校内で大便をしたとか、他の生徒の何か悪そうなところを見つけて。
クラスの中では男女を問わず、何かにつけて彼ら数人に執拗な迫害を加えられて泣く生徒が少なくなかった。
「あいつの言うことなんか、気にすることないわ」
「そうよ、どうせ本当は一人じゃ何もできない卑怯者ばっかりなんだから」
 同級生の女の子たちは、落ち込む真奈にそんなことを言って何度も励ましてくれた。

 言われ続けるだけでやり返してこない真奈に、男たちの差別はますますエスカレートしていく。
きつい言葉を浴びせ、机の中に虫の死骸を入れ、持ち物を隠し…
そんなある日の昼休み、席についている真奈を取り囲んで面白半分に罵る彼らに対し、ついに彼女の怒りが発火点を迎えた。
 バチイイイイン!!
 心の優しい真奈が生まれて初めて、他の誰かに手を上げた瞬間だった。
背の高く、力だって並の小学生とは比べ物にならない真奈の平手をまともに喰らったいじめっ子グループの中心の男子。
整列すれば前から3番目になる小さくて軽いその男子は、真横に吹っ飛んでベランダ側の窓に衝突。
窓ガラスはその男子の頭の形に凹み、白いひびが全体に走った。
たった今までその男子が立っていた場所には真っ赤に染まった彼の前歯が1本転がって、残りの男子一同は腰を抜かした。
歯の抜けた間抜けな顔で鼻血を流し、男子生徒は赤ん坊のように泣き叫ぶ。
そしてそのまま他の男子数名に抱えられ、保健室送りにされた。
静まり返った教室を、いじめっ子男子を撃退した真奈自身も飛び出していってしまう。
その日はそのまま無断で早退し、帰ってから日が暮れるまで真奈は部屋のベッドで布団をかぶって泣き続けた。
自分がこんなことをするなんて…
いじめてきたほうが悪いとはいえ、思わず他人を殴ってケガをさせてしまったことに対する自己嫌悪に真奈はただ、泣いた。

 翌日から真奈の目に映る5年2組は、変わった。
クラスの中にはびこっていたいじめが、なくなったのだ。
それは本来喜ぶべきことなのだろうが、真奈にはとてもそうは思えなかった。
あの1発のビンタを境に、真奈は男子からいじめられこそされなくなったものの、避けられるようになった。
他の生徒へのいじめも消えたようだが、それはきっと真奈の目を気にしてのことのはずだった。
最もしつこく自分をいじめていたあの男子は、あの日以来近づいても目線さえ合わせてこない。
あの一撃で、彼は真奈に対する恐怖を強く刻み込まれてしまったのである。
真奈に怯えている。
これでは真奈のほうから謝ろうとしても、聞き入れてくれそうにない。
「横川さん、よくやったわ」
「いじめっ子を退治してくれて、ありがとう。あいつもあれがいい薬になると思うよ、きっと」
 仲良しの女子はそう言ってくれた。しかしそのセリフの中に、真奈は何かよそよそしいものを感じていたのだ。
(この子たちも私のこと、きっと怖がってるんだ…)
 真奈は直感した。

 クラス全体で会話がなくなったように感じた。何か、しぃんとしている。
少し前までは授業中でもおしゃべりが絶えず、担任からそのたびに叱られていたほどなのに。
(私があの日あんなことをしたから、みんなが私のことを怖い女だって…)
 そう感じて、真奈は机の下で拳をぎゅっと握り締めた。
いじめがなくなったって、クラスのみんなが仲良く笑っていられないのでは何の解決にもならない。
真奈はますますあの日のことを頭によみがえらせ、軽はずみだった行為を悔やんだ。
自分の1発の暴力が、クラスを暗く変えてしまった…

 ある日の昼休み、仲のいい男子と女子が混ざったグループでボール遊びをしている。
混ぜてもらいたい真奈だったが、どうしても足がそれ以上前に出て行かなかった。
(自分が入ったら、またみんな急に他人行儀になって硬く重い雰囲気になってしまう…みんなに迷惑がかかっちゃう)
 クラスメイトと自分の間で高い壁のようなものを感じ、真奈は引き返した。
彼らの目に入らないような遠い場所で、彼女はそのボール遊びをぼんやりと眺めていた。
あの子たちの楽しそうな様子と、高く響く笑い声を目や耳に入れているうちに…涙がポロリとこぼれた。
見ていられなくなり、真奈は背中を震わせながら彼らに背を向け去っていく。
独りぼっちになってしまった、真奈。
自分は本当に、誰にも相手にされない『電柱』になってしまったんだと思った瞬間から、涙が止まらなくなった…

 寒い2月のその日から、真奈はその学校に行けなくなってしまった。
孤独感に苛まれるあまり、不登校となったのだった。
部屋に閉じこもり誰とも会おうとしない真奈に、彼女の両親は大きく心を痛めた。
真奈はたまに外に出ても、なぜか妙に猫背となりかつての元気さは見る影もなかった。
こうなってしまったのは自分が大きいのが全ていけないんだと、不幸を全て自分で背負い込んでしまっていたのだ。
少しでも自分を小さく見せるように、背中を丸めていなければまともに外を歩けない性格になってしまっていた。

 このままではいけないと、父と母は力を尽くした。
新しい環境で、娘をまた一から出直させてやろうと。
そしてある日、父があるアイデアを持ってニコニコしながら帰宅してきた。
「真奈!4月から転校するぞ!」
「え?」
「父さん、真奈にピッタリの学校を見つけたんだ。ここなら真奈も、きっとうまくやっていけるだろう」
「あなた、本当なの?」
「ああ、この記事を見ろ。これに載ってるクラス、真奈と同じ学年じゃないか。
この校区に編入すれば、真奈もきっと立ち直ってくれるはずだ」
「…すごいわ。ここならいけるかもね」
「ちょ、ちょっと、お父さん?お母さん?何の話をしてるの??」
 とある雑誌の地域特集記事を2人で見合わせながら、娘の真奈より10cm近く小さな夫婦は妙に明るい笑顔を覗かせていた。

 そして4月、横川家は隣の県のこの町に引っ越してきた。
転居により、会社員の父は通勤距離が倍に伸びてしまうことになる。しかしそれでも、ためらいはなかった。
全ては、愛する娘のためだった。
真奈が新しく通うことになった学校とは、市立Y小学校。
彼女はこの学校の、6年3組に編入することになっている。そして今日は、1学期の始業式の日である。


 冒頭のような母親とのやり取りの後、真奈は完全に気の進まないまま通学路を歩いていた。
(でも、どこに入ったって一緒よね…私は小学生のくせにこんな大きい電柱女だもん…
まるで、わざといじめられに行くみたい。やだなぁ、このままどこかに逃げちゃおうかなぁ…)
 また無意識の間に少しずつ背中が丸まっていく真奈。恥ずかしそうに、俯いて歩く。


(…え?)

 学校が近づいていくうち、真奈は今まで感じたことのない妙な感覚を覚えていた。
この自分が、周りに比べてそんなに浮いていない。
前の学校の通学路では、他の生徒の波の中を自分一人だけ胸の辺りから突き出ていた電柱みたいな女だったのに。
自分とそんなに変わらないような背丈の女の子を、たまに見かける。
もちろんみんながみんな大きいわけではなく、あくまでたまに見かける程度だ。
それに男子はみんな前の学校と変わらない、小学生らしく小さな子ばかりで。
校門を通過する。
(う…うそっ!?)
 179cmもある自分より、さらに大きな子も数人見かけた。
腕や足の長さ、太さも半端ではなく、細身の体型である真奈が今まで見たことのないような逞しさの少女に愕然とする。
(この人たちって…本当に小学生なの!?)
 真奈は自覚がないままに、丸めていた背骨を普通にまっすぐ伸ばしていた。

 驚きも覚めやらぬうちに、気が付けば転校生の真奈は職員室に通され新しい担任と面会していた。
名を沼田という、男子生徒とそれほど変わらないような小柄で頼りなさそうな先生だった。
20cm以上低い位置から、沼田先生は真奈を見上げながらいろいろと説明をしてくれた。
(またこんなに大きな子か…どうして私のクラスにはこうして扱いづらい女子生徒ばかり集まるんだろう…)
 そんな沼田の心の呟きも、新しい環境下で緊張している真奈にはわかるはずがない。
1学期の始業式は予定通り滞りなく進行し、生徒たちは新しい学年の教室へと移動していった。

 大きく自分の名前を書かれた黒板を背に、自己紹介をする。
「○○県のA小学校から来た、横川真奈です。
一人でも多くの人と、お友達になりたいです。よろしくお願いします」
 緊張の残るたどたどしい挨拶だったが、拍手で迎えられた。
179cmもある自分が、特に違和感なく見つめられている。
このまま席に着けば、周りにほとんど溶け込んでしまいそうだ。
教室の前から見てみると、本当に大きな子が多い。
座っていてわからないが多分、自分より大きそうな子も、いっぱいいる。
そういえば通学中に見かけた大きな女の子たちは、ほとんどこのクラスの生徒だったような気がする。
…それから、どうして女子はこんなに大きいのに男子はみんな小さな子ばかりなのか。
ほとんどの男の子が、何かオドオドした雰囲気を漂わせている。
前の学校よりも、全体的に男子だけは小さいような… 

「あれ?そういえばさくらちゃんは?」
 クラスの女子の誰かが誰にともなく尋ねた。
「秋野さんなら、体育館から戻るときに教頭先生に呼ばれてたけど?」
「あ、帰ってきた!」
 ガラッ。
「先生すみません、遅くなりました…」
「!!」
 小さな声とともに入ってきたその女子生徒の姿に、真奈は目を丸くした。
入り口をくぐるようにして教室内に入ってきた、1人の大きな少女。
真奈は今までこんな角度で見上げなければならない同級生、いや人間自体は記憶になかった。
(す、すごい、何cmあるの、この人…)
「さくらちゃん、どこ行ってたの?」
「ちょっと教頭先生に、職員室にある額縁を架け替えてくれないかって言われて…」
「秋野さんはおっきいから、利用されてるのね。失礼だから、断ったっていいんだよ?」
「あんなチビ教頭、踏み潰しちゃえばいいじゃん」
「あ、相沢さん、そんなこと言っちゃダメよ…」
「ふふ、さくらちゃんはほんっと優しいんだね」
 このクラスの女の子たちの、ほんの自然体で交わされる会話を耳に入れながら真奈は鳥肌を立てた。
前までいた学校では、考えられないことだったから。
そして、たった今さくらちゃんと呼ばれた超長身少女とふと目が合う。
「あ、あの、私、今日からこのクラスに入った横川です。よ、よろしくお願いします…」
 さくらの身体的迫力に圧倒され、真奈は同い年のはずのさくらについつい敬語で挨拶して頭を下げていた。
「ぁ、いえ、こちらこそ、よろしくお願いします…秋野さくらです…」
 それに対し、身体こそ大きいが心優しく気の小さいさくらも反射的に敬語で応えてぺこりと会釈した。
その奇妙なやりとりに、クラスの女の子たちから爆笑が沸き起こる。
「な〜に〜2人とも、かしこまっちゃっておかしいってば!同級生でしょ?」
「真奈ちゃん、そんな恐縮しなくても大丈夫。あたしたち、仲間なんだし。ね?」
 一番前の席に座っている手足の太い女の子が、面識のないはずの自分にいきなり真奈ちゃんと呼びかけた。
その言葉が、真奈の心に張っていた氷を溶かして柔らかくほぐしてくれた。
(仲間……)
自然と、真奈の表情に昔のような微笑が戻ってきていた。
(ここなら、うまくやっていけるかも)


 プルルルルル…… ガチャ。
「はい、横川です」
「もしもし?俺だけど」
「あ、あなた?」
「どうだ、真奈の様子は?うまくいったんならいいが」
「バッチリだったみたいよ。真奈、ニコニコしながら帰ってきたわ。
今日学校であったこと、すごくうれしそうに話してくれたの。あの子のあんな姿、何ヶ月ぶりかしら」
「そうか。それは良かったな…」

 安堵の表情を浮かべながら、職場で真奈の父は自宅にいる妻と電話を続けつつあの日出した例の雑誌にもう一度目を通す。
どういうわけか大きな女の子が集中して在籍している、とある小学校の一学年を紹介した記事が載った、先々月の雑誌を。
記事にあわせて掲載された写真には、子供のように小さくて頼りなさそうな顔をしている担任の男性教師を取り囲んで
自信に満ちた笑顔でそろってピースサインを送っている、大人顔負けの長身を持った女子小学生たちが写っていた。


つづく