6年3組物語 第7話

軟弱男強化作戦

「幹男…今日はどうしたの?ケンカ?」
「ひんっ…えぐ、うっく……」
「誰にやられたの?」
「うっ、うぅ…」
「泣いてちゃ、わからないじゃない」
「ぇぅぅ、ひぐ…ぐしゅっ…」
「しっかりしなさいよ!!男でしょ!?」
 バンッ!!
「ひい!!ぁだぁぁぁ…ぅぐ、じゅるる……」
 いつまでもメソメソと泣き止まない小男に背の高いポニーテールの少女は苛立ち、叱咤の平手を彼の背中に入れた。
その強烈な衝撃に、弱々しく臆病な少年はますます涙の勢いを強めるのだった。
気合を入れるためにと加えた彼女の行為は、いつも逆の効果を生み出すばかりだ。

 こうして制服を泥だらけにしながら、泣き濡れた顔で鼻水をすする幹男の情けない姿を見つけるのはこれが初めてではない。
ここ数年では、美由紀にとってそれはごくありふれた光景だった。
今日そんな幹男の姿を見かけたときに美由紀が思わず口にした独り言も、
「あ、まただ…」
 だった。


 6年3組・小野美由紀には3歳年上の幼馴染、前川幹男がいる。
家が隣同士の幹男と美由紀は、幼い頃から親しくよく一緒に遊んでいた。
2人の関係はまるで兄妹のよう、周りからの印象は大体そんな印象が主体的だった。
…だが、それは2人が幼かった頃までのイメージだ。
今、知らない人が幹男と美由紀を見たら…間違いなく弟と姉だと間違えるはず。
頼りになるしっかりした姉と臆病で頼りない弟、そんな印象で。

 幹男が4年生、美由紀が1年生の頃から早くも逆転の兆候は訪れていた。
小動物や昆虫を怖がって触るどころか近寄ることもできない幹男に対し、美由紀はそれらを興味津々に素手で捕まえ、
「幹男君、ほらっ!いっぱいつかまえちゃった!!」
「う、うわああああっっ!!」
 こんなかわいい生き物がたくさん手に入ったから、幹男君もきっと喜んで、そして美由紀のことを褒めてくれるはず、
幼くて無邪気だった美由紀はそう思って、蝶や蝉、トンボから大きな食用ガエルに至るまで
平気で捕獲してきては誇らしげに幹男のところに走って持ってきた。
だが生まれつき気の小さい幹男は本気で怯えて全速力で逃げ回る。
全然悪気のない美由紀の行動だったが、怖がりの幹男にとってはまるで鬼に追いかけられるかのような恐怖だった。
その様子を見ていた町内の大人たちからは、幹男は男の子のくせにだらしない、美由紀ちゃんのほうが度胸があるねと
物笑いの種にされていた。

 そして数年、幹男にとって止めを刺されるような現実が襲う。
幹男が中学に上がり、美由紀が小学4年生になった春のこと。
ついに…美由紀の背丈が153cmと幹男に追いついた。
低学年のうちはそれなりに大きい部類に入っていたはずだったが、高学年になるにつれ成長が鈍化し、
大きくなる周りに取り残されるようにして中学入学時にはクラスでも目を引かない大きさの男子となった、幹男。
それに対し、美由紀は順調すぎるほどの成長曲線を描き、決して大袈裟ではなく見るたびに大きさを増していた。
度胸などの精神的な部分では小さい頃に負け、
加えてその年、町内の空手道場に入って鍛え始めた美由紀には、信じたくはなかったが力でも敗北を喫した。
どれだけ強くなったか見てみてと美由紀に挑まれた腕相撲で、完敗。
GOと合図が出た瞬間、幹男の手はテーブルに叩きつけられた。
激痛にうずくまりながら手の甲をさする幹男に、美由紀からの言葉が鋭く突き刺さった。
「女の子に力で負けちゃった。悔しかったら、幹男君も強くならなきゃダメだよ」
「……」

 心でも負け、力でも負け。
これまで兄のような役割を果たしていた男として唯一残った要素、何としても守らなければならない最後のアイデンティティが
身長だった。
もう自分は伸びないのか、もう止まってしまったのかと焦燥にとらわれる幹男。
日に日に発育を続ける美由紀が、もうそこまで迫っているというのに!
そして幹男中1、美由紀小4の初夏。
幹男の願いもむなしく、美由紀の頭部は確実に幹男より高い位置にあった。
幹男が美由紀に対して優位に立てていた最後の砦も、驚異的な成長を遂げる美由紀の前にあっさりと陥落。
あらゆる面での完全屈服のときが訪れたのだ。
そしてそれに気付いた美由紀により、屈辱の烙印が押される。
自分の頭の上に手を置いてから、こちらへと水平に動かしてくる、美由紀。
それは幹男の頭にはかすりもせず、数cmの差で通過していった。
「チビ」
 美由紀が思わず口をついて出した、ただ事実に基づいての述べたつもりの感想だった。
…しかし、それはこれまでのどんな出来事よりも深く幹男の心をえぐる屈辱だった。
何一つ残らず、妹的存在の美由紀に抜き去られ、それを彼女にほんの軽い気持ちでなじられた瞬間…
幹男は泣き出した。
声をうわずらせ、鼻をすすり上げて。
男子中学生が、小学校4年生の女の子の上からの視線に晒されながら。

 その生き恥の日を境にして、美由紀の肉体的成長はいっそうの加速を見せた。
軽やかに追い抜いた幹男を嘲笑うかのごとく、発達のブースターに点火された美由紀の身長が幹男を一気に引き離す。
幹男が中2、美由紀が小5に上がった翌年春の時点では、153cmと170cm。
もはやこうなると、幹男が兄を気取ることなど不可能だった。
この頃から美由紀は、幹男に対して君を付けて呼ぶことをやめた。呼び捨てだ。
年上の男としての尊厳が、かけらも残らず消えてなくなった…

 またこの頃から幹男は、校内外でしょっちゅういじめを受けるようになった。
チビ、弱虫と罵られ、殴られて、蹴られて…
学生服に泥や靴跡をいくつも付けて、泣きながら下校してくる幹男の様子を美由紀は定期的に目にしてきた。
そして、今日も…


いつまでも泣きべそをかきながらの、非常に聞き苦しい彼の言葉をがんばって解読していく美由紀。
…ようやく、大体の流れが見えてきた。

・今年度に入ってから、幹男を新たにいじめ始めた奴がいる
・そいつは美由紀よりも何cmか低い程度の、大柄な体型で力も強い
・幹男も勇気を出して立ち向かったこともあったが、まるで違う実力の前にコテンパンにのされてしまった
・それ以来幹男はそいつに頭が上がらなくなり、いじめられては泣かされてばかり
・今度の土曜日にそいつが決闘を申し込んできた

 …以上のことを、美由紀は幹男の口から聞きだした。
幹男がグジュグジュ泣きながら話したので、これだけのことを知るのにずいぶん時間がかかってしまった。
「そいつと…戦うの?」
「僕はやりたくなんかない!でも…あいつが強引に決めたんだ!
もし土曜日に、約束した場所に来なかったら…ボコボコにするって言うんだ。
約束どおりそこに行ったって、結局はボコられちゃうに決まってるのに!」
「うーん、考えてみれば変な話よね…その、幹男をいじめてる奴のほうが強いってことはもう両方ともわかってるのに
それでわざわざ決闘、なんて…」
「そうだよ、絶対おかしいんだ!あいつはなんやかんや理由をつけて結局僕をいじめたいだけなんだよ!
わかってて殴られに行くなんて絶対やだ!!でも行かなかったら殺されちゃうかも…
ねぇ美由紀ちゃん、あいつやっつけてよ!!これまでだって、僕がいじめられたら美由紀ちゃんは仕返ししてくれたじゃないか!
僕のかわりに、ボコボコにしてやってよ!」
「ん?待てよ、これは意外とチャンスかも…」
 いまだ涙にくれながら、自分の敵討ちを頼み込む幹男の叫びを聞いているのかいないのか、
美由紀は何やらぶつぶつと独り言を言いながら思案している。
「お願い、美由紀ちゃん!僕じゃ絶対勝てないんだ!
でも美由紀ちゃんならその辺の奴らなんか一発だし…だから助けて、お願い!!」
「…」
「美由紀ちゃ…」
「うるさいっ!!」
「ひっ!!」
「あんたさっきから何なの!?男のくせして!
自分の喧嘩ぐらい自分で始末できなくてどうするのよ!!年下の女の子に頼ってばっかりでさ!
キンタマ付いてるんでしょ!?」
「み、美由紀ちゃん…女の子がそんな言葉使っ…」
「うるさい!男のくせになよなよしてるあんたが悪いんでしょ!?
…こうなったら幹男、これはあんた一人の力で解決しなさい!」
「ひ、一人でって、どうやって…」
「戦うに決まってるでしょ!幹男本人の力で、困難に打ち勝つの!」
「何言ってんだよ、そんなこと、でき…」
「はじめからあきらめててどうすんの、バカ!!だからいじめられるんじゃない、弱虫!!」

 確かに美由紀はこれまでに、友達である幹男をいじめた奴らには100%復讐をしてあげた。
それが何歳でも、何人組であっても。
男のくせに弱々しい幹男自身に対しても腹立たしく思うことも多々あるが、
そういう弱い相手だけに対して強い態度に出る中途半端な野郎は美由紀にとって最もムカつくタイプなのだ。
だから、腕が立たず仕返しもできない幹男に代わって恨みを晴らしてやる。
空手仕込みの突き、蹴りで容赦なく叩き伏せ、土下座させて謝罪の言葉を引き出す。
弱いものを泣かせるしか能のない連中には、被害者以上の目に遭わせて涙が枯れ果てるほど泣かし、
やられる側の気持ちを味わわせてやるのが一番と美由紀は思っている。

 …が、そんなことばかりでは幹男自身はどうなるのかと美由紀は考えを改め始めた。
いつまでも自分が代わりにやってあげるだけでいいのかと。
弱いものいじめは確かに放ってはおけないけど、幹男にも少しは強くなってもらわなければ困る。
今回はそういう考えで行くと、いい機会なのではないかと考えた。
わざわざ喧嘩の日時まで決められているのだ。それに向けて幹男を強くしてあげれば…
そこでもし幹男が勝利を収めることでもできれば、自信にもなるし幹男がいじめに遭うことも減るだろう…

「そうとなったらぐずぐずしてる暇はないわ!幹男、特訓よ!」
「え、ええっ!?み、美由紀ちゃ…」
「いいから早く!」
 まだ美由紀の意図も飲み込めず困惑するばかりの幹男の腕を引っ張り美由紀は歩き出す。
その強い力に幹男は足をもつれさせながら焦ってついていくだけ。
決闘は土曜日の昼、今日は水曜でもう夕方だから残りは丸3日もない。
もし数ヶ月先とかならば、みっちりと筋力トレーニングでも課して基礎から叩き直すところだが
数日先に合わせてそんなことをしたって逆効果にしかならない。
貧弱な幹男のこと、おそらく筋肉痛でへばってしまい土曜日は不戦敗で来週またいじめられてしまうだろう。
よって、美由紀は限られた範囲内でできることを考え考え幹男に伝えていった。
基本的な体の運び方、相手がこう来たらこう対処するという基礎知識、
そして何より幹男に足りない、精神的なもの…
美由紀の厳しいコーチに幾度となく半泣きになる幹男への苛立ちを彼女は必死にこらえながら、
それでも手を緩めることなく、水曜、木曜、金曜と指導を繰り返した。
それが、最も幹男自身のためになることと信じて…


 約束の土曜日がやってきた。
幹男の言ういじめっ子が指定した川原に、幹男はきちんと顔を出していた。
ひょろっとした小柄な体で自信なさげに立つ幹男の、ズボンのウエストからトレーナーの腹部にかけては
分厚い本を挟んだ四角く硬いふくらみが見て取れる。
腹部への衝撃を免れるために備えた即席の防具として、美由紀が考案した苦肉の策だった。

(それにしても、こうして見るとほんとに頼りないわね…もっとドーンと構えてなさいよ!)
 川原の土手の上では、美由紀が身を潜めて幹男を見守っていた。
なんだかんだ言いながらも結局は幹男のことが心配で、幹男には黙ってついてきていた。
相手は、まだ姿を現さない。
もし今からやってくる相手が武器を持ってきたり、多人数だったりしたら…
幹男程度を相手にするのにそんな腐った手段を用いる卑怯な奴だったら…
美由紀はその場から一気に飛び出して、何人いようとまとめて叩きのめしてやるつもりで待ち構えているのだ。
(幹男…!)
 自分が決闘するのと同じかそれ以上の気合をみなぎらせながら、美由紀は隠れている土手に生えた雑草を握り締める。

「逃げないでよく出てきたじゃん!チビ中学生!」
 川原に響いた声に、幹男も美由紀もピクッと反応する。
幹男の顔は見る見るこわばり、美由紀はその高い声色にぽかんと呆気に取られた。
(お…女の子!?)
 その声と同時に、美由紀から少し離れた位置の土手を1台の自転車が勢いよく駆け下りていく。
それに乗る人影は、確かに幹男の言っていた通り美由紀と同程度か少し低い170cm前後の…
デニムのミニスカートに☆型の金属性チャームを装着しているような、
小学生向けガールファッションの幼さを感じさせる少女だった。
その顔を確認して、美由紀は驚いた。
(あれは…里奈ちゃん!)

 幹男に決闘を申し込んだいじめっ子とは、美由紀の同級生・府川里奈だった!
確かに里奈は大きく、力も強くて6年生でも彼女に負かされ泣かされた男子は少なくない。
だが…いくらひ弱ないじめられっ子とは言っても幹男は中学3年生。
来年には高校生にもなる男が…異例の飛び級で6年生をしている、本来ならまだ小学4年生の女子児童にぶちのめされ泣かされて
あいつには勝てないからと小学6年生の幼馴染に泣きついてきた、というのか。
(そんなの…情けなさすぎるよ、幹男……)
 身を潜めたまま、美由紀は頭を抱えた。

「どうせビビって来ないと思ってたんだけど…その根性だけはほめてあげてもいいよ。
でも、そのちっちゃな体であたしに勝てるかな?ふふふ」
 里奈は自信満々の面持ちで、手のひらに拳をバシバシと打ちつけて幹男を見下ろしながら歩み寄ってくる。
「言っとくけど、この勝負に負けたらあんた、あたしのパシリだからね」
「えぇっ!?」
「えー、じゃないの。負けたほうは勝ったほうの言うこと何でも聞くのは当たり前でしょ。
そのかわりあんたが勝ったら、これからいじめるのはやめてあげる。どう?」
「こ、この…わーっ!!」
 里奈の大きさ、そしてこんな小男に負けるわけがないという不敵な笑みを浮かべた表情にまごつきながらも
幹男は男のプライドにかけて殴りかかっていく。
この数日で美由紀から授かった、特訓の成果を引っさげて…

「帰ろっと」
 美由紀は呆れ果て、勝負の行く末も見届けないままそそくさと家路についた。

 隠れた助っ人にも見放された哀れなチビ男・幹男はまだ10歳にも満たない里奈に果敢に挑みかかっていったが
悲しいかな如何ともしがたい体格差、前に手を伸ばした里奈に頭を押さえられ手も足も全然届かない。
里奈は幹男のそんな不恰好な様をひとしきり笑った後、もう一方の手で幹男のズボンを掴んで豪快に投げ飛ばす。
軽い幹男は9歳の里奈の腕力の前に弧を描いて吹き飛んで川原の土にまみれ、
ズボンからは挟んでおいた週刊の少年漫画雑誌が転がり落ちる。
「あはは、これなーにー?まさか、隠しておいて武器にでも使うつもりだったの?」
 せっかくの秘密装備は、一度として用途を満たすことなくあっさりと敵の手に渡ってしまった。
「えいっ☆」
 泥まみれになってうつ伏せに潰れていた幹男の上に、高くジャンプした里奈の大きなお尻がのしかかる。
「ぐえええっっ!!」
 鍛錬などしたことのない幹男の脆弱な細い体が、里奈のデニムスカートの下で大きくたわむ。
その反応が気に入ったのか、繰り返し爆撃される里奈のジャンピングヒッププレス。
その重い衝撃のたびに、Vの字にしなる幹男のうめきがよく晴れた空にエコーを奏でる。
「これ、こうやって使うつもりだったんだよね?どうせ」
 バゴッ!バゴッ!!
「ぎゃああああ!!」
「女の子との決闘に武器なんか隠し持ってくるなんて、この卑怯者。そんなことだからいじめられるんだぞ」
 ガッ!ゴッ!
「いだだ、いだあああい!!」
 幹男から取り上げた漫画雑誌を里奈は振り下ろし、その厚く硬い背表紙で幹男の頭部を殴りつける。
一発ごとに脳に響く激痛に、幹男は里奈の尻に敷かれたまま大粒の涙を流し始めた。
あと何ヶ月かでやっと10歳になる少女から申し込まれた決闘は、15歳の幹男の完全敗北で決着。
5歳以上も年下の女の子を何ら手こずらせることもできず、1分もかからないうちに料理されて
頭にいくつもコブを作って無様に泣きべそをかくという最低最悪の結果で。

「こんなもので叩かれたら痛いに決まってるでしょ〜?いい年してそんなこともわからないの?
反省しなさい、反省」
 ゴン!ボガッ!
「ぃぎいいい、ぎゃ、ぁ、ぁぁ〜〜…」
「この本、先週読んじゃったからつまんなーい。
そういえばもう今週号出てるじゃん。ね、パシリなんだからさっさと買ってきてよ幹男君。
ていうか買って来い、チビ」
 ガン!ガン!ガン!
「ひぃぃ、ぃだいよぉ…やめてくださぃ…
たすけ…だずげでよぉ……み゛ゆ゛ぎぢゃあああん……」


 つづく