6年3組物語 第23話

キャプテン司

『絶対に負けられない戦い』―――。
 サッカー日本代表の試合などで、放送があるたび毎回そんな宣伝文句を使うため、すっかり陳腐な響きとなってしまった言葉だが
これから自分たちの戦いに臨む彼らにとっては、その言葉は飾りなどではない、本物の決意がこもったものだった。
しかしそれは、これに勝てば優勝だとか、大きな大会に進めるといった、上を向いた気持ちで出ているものではない。
これに負けたら二度とここでサッカーなどできなくなるという、追い込まれた悲壮感からくる、負けられない思いなのだ。


 Y小学校校区で開かれている少年サッカーチーム、南町FC。
彼らが挑むのは…同じ南町FCの、女子部だ。
創立から20周年を迎える男子部に対し、女子部は一昨年できたばかりの、非常に歴史の浅いチーム。
もちろん当初は、まったく相手にならなかった。対戦する機会があったとしても、ほとんどサッカーの基礎を指導してあげるようなものだった。
大量に得点も挙げたし、もちろん失点などまず許すことはなかった。
小学2年生の頃からこのチームで汗を流してきた足立司からすれば、彼が4年生の頃にようやく産声を上げた素人ぞろいのチームなど
対等に試合をする相手とは思いたくもならなかった。
普段の学校生活の中では、同級生の女子児童たちに、体格の面でもその能力の面でも圧倒されっぱなしの司だったが
このチームで女子部と試合をするときだけは違った。まるで普段の憂さを晴らすかのように、先にサッカーを始めた先輩としての実力の違いを見せつけた。

 …だがその様子が変わってきたのは、去年のこと。のちにサッカーの才能を大きく開花させる少女、高橋小百合が加入してからのことだ。
司が5年生だった去年の春、クラスこそ違って面識はないが同学年の小百合を見た彼の胸は、得体の知れない不気味な予感に疼いた。
その頃既に172cmという長身だった彼女に対する劣等感ももちろんあったが、それだけではなく
この女が入ってきたことで、女子部が大きく変わっていくことがなんとなく予知できたのだった。
長い間サッカーをしてきた司だからこそ感じたことだったのかもしれない。
そしてそれは、現実になっていく。部員として日々を過ごしていくうちに、小百合はサッカー選手として驚くほどの早さで頭角を現した。
男子部と女子部で試合を行ったら、女子部が得点を挙げるようになり始めた。小百合のシュートによるものだ。
もちろんそれ以上に男子部が点を取っていたため大勝を続けていたことに違いはなかったのだが、司には引っ掛かるものが残る試合ばかりだった。
あいつを完全に封じ込めたうえで勝たないと、勝った気になれないと思うほど。
しかし試合を重ねるごとに彼女のシュートは強さ、速さを増していき、当時の上級生が務めていたキーパーでも止められなくなっていった…

 そして春から年度が替わって、自分たちの学年がチームを仕切るようになった。
同時に、クラス替えにより司と小百合は同じ6年3組となったのだった。
クラブ活動以外の場で毎日顔を合わせるようになって、司は余計に小百合を意識せざるを得なくなった。
143cmの彼から見上げる彼女との差は、30cm!体の逞しさにも、いたく自尊心を傷つけられた。
細身の体である小百合だが、下半身の発達ぶりには目を見張らないわけにはいかない。
太腿の筋肉が割れ、ふくらはぎの盛り上がり方も自分とは比べ物にならない。あれが、あの必殺シュートを生み出しているのか…
サッカーがもし団体競技ではなく個人の対決だったら、この女相手に勝てるかどうかわからない…そんな想像までしてしまう。
「きょうも学校終わったら練習あるから、また頑張ろうね、足立君」
 それでも小百合からは何も構えることのない、普通の仲がいいチームメイトのような接し方だ。
小百合は誰にでも優しく接する、人に憎まれ口を叩くことなどまずない素直な女の子だった。
これだけ見た目やフィールド上で、あれだけ差を突き付けておきながら見せるこの優しさが、司によりコンプレックスを抱かせている。

 そして先月、起きてはならない事態が、起こるべくして起こった。
男子部が、女子部に敗れたのだ。
男子部の得点は司による1点だけにとどまり、対する女子部は後半に小百合が2得点を挙げての逆転負け。
試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間の女子の沸き上がりようと、自分たちの下しか見られず声を発することもできない落胆ぶりは
拭い去ることなどまずできない重苦しい思い出となった。
「ついに勝ったよ!男子部のみんなが試合で指導してくれたおかげだよ!」
 一様に俯く男子部にそんな声をかけたのは小百合だけで…
「あーらら、女の子に負けちゃった。恥っずかしーい」
「昨日まで偉そうにしてたけど、もうおしまいだね。弱いんだから」
「もっと強くなりなよ。また胸貸してあげるから」
 他の女子部員は勝った今がチャンスとばかりにいっせいに囃し立てた。これまでやられた分を、まとめて…
「う、うるせえ!お前ら今まで俺らにどれだけ負けたと思ってんだ!1回まぐれで勝ったぐらいでいい気になんな!」
「はぁ?まぐれ?」
「当たり前だろ!こっちがちょっとミスっただけだ!普通にやればお前らなんか、これまでと同じで相手になるか!」
「…だってさ。どう思う?」
「ってことは、もう1回戦いたいってことだよね、うちらと」
「…何が言いたいんだ!」
「だったらお願いしなきゃ。もう1回僕たちと試合してください、お願いしますってさ。
格下はそれぐらいするのが礼儀でしょ」
「そうよねー。そんな謙虚な姿勢で来るんだったら、考えてあげてもいいよね」
「ふ、ふざけんな!誰がお前らにそんなこと…」
「別に強制なんかしてるわけじゃないし、嫌だったらしなくてもいいんだよ。
『一度女の子に負けたから、そのあと見返そうともしないで逃げちゃった腰抜け男の集まり』って言われるだけのことだから。
そっちより、今頭下げるほうが恥ずかしいって言うんなら、あたしたちにはわざわざ従わなくてもいいんだしね」
 …彼らに選択肢など、あるはずがなかった。
意地の悪い女子部員数人のクスクス笑いの中、男子部一同は下げたくもない頭を下げ、再戦を申し込むしかなかった。
この恨みは、試合で晴らすとの決意を抱いて。


 試合開始前に、両チームが整列する。
「君たちが泣いて頼むから、また相手になってあげる。あたしたちも忙しいんだけどしょうがなく、ね」
 今年から女子部のキャプテンに就任した6年2組の千里が、完全に上の立場に立った口調で言う。
「だ、誰が泣いて頼んだ!?」
「大体一度勝っただけで何偉そうな口のきき方してんだよ!」
 男子部キャプテンの司と、副キャプテンの6年2組・三崎がムキになって反論する。
「実際勝ってるんだから当然でしょ」
 同じく2組の真尋が口をはさんだ。
「そうそう。こっちは挑戦を受けてあげる側なんだし。それにさ、こんな態度で接するのが当たり前だってことは
試合が始まってみればすぐにわかるよ。ねー、小百合♪」
「う、うん…まぁ、頑張ろうね、男子部のみんなも」
「相変わらず甘いね、小百合は…遠慮することなんかないのに」
「今日はこいつらに、わからせてあげようよ。実力の違いってのをさ…
これから女子部と戦う気なんて、二度と起こらないぐらいにね。だから小百合には頑張ってもらわないと」
「お、お前ら…今まで数えきれないぐらい負けてきたくせに、それにこの前のはたった1点差の偶然みたいな勝ちだったくせに
何様のつもりだって聞いてんだろ!」
 三崎は千里と真尋、2人の同級生のあくまで呑んでかかった態度に、頭に血を上らせていた。
前回、一度だけ不覚を取っただけのことなのに、何をここまで下に見られなければならないのか…
それに、点を取ったのは小百合1人。なのになんで、あの2人が大きな態度を取っているのか…
そんな三崎とともに腹を立てつつも、司は警戒感を強めていた。
あの強気な態度は単に小学生の強がりだというだけではないような気がしてならなかった。何か、強力な裏付けがあるのではないかと…


 キックオフ。
事前のコイントスにより、女子部のボールで始まった。
これには司は、試合前に立てていた計画が損なわれた焦りを浮かべていた。
この試合、最初が肝心だと思っていたのだ。自軍のボールで始まったら、まず速攻で1点を取りペースを握りたいと考えていた。
そのスタートダッシュが、やりにくくなってしまった。
守りに回るとなれば、作戦はこれしかない。『小百合にボールを回させるな』。
とにかく女子部で最大にして唯一ともいえる得点源の小百合に蹴らせなければ、失点の心配はない。
これまでの試合で点を取られたのはすべて彼女のシュートによるものなので、そう考えるのが普通だ。
過剰とも言うべき『小百合シフト』を敷く男子部。彼女からやや離れて、4人が囲んでいる。
小さな男たちが作った輪から、173cmの小百合が飛び抜けた高さで立っている様は滑稽なものだが…
小百合に人員を割いている分、他の選手へのマークは手薄になり千里と真尋の前進を許すことになった。
それは別に構うことはないと、司は思った。あいつらでは点は取れない、と。
2人がパスを回しながらゴール前にまで到達する。
男子部のゴールキーパー、森脇は5年生ながらチーム一の160cmと大柄で、腕の長さもあることからこのポジションを任されている男。
これまで小百合にしか打たせてこなかった女子部のことだ、他の女子部員のシュートなど止められないわけがないと立ち向かう。
大きくシュートの体勢に入る千里…しかしそこから意表をついて、真横に高いボールを蹴り出した。
その落下点には、依然として男子部員たちに包囲されている小百合がいた!
ボールを持ってもいなかった選手の進路を妨害していいはずもなく、ただ移動するのを食い止めることなどできなかったのだ。
そこから小百合は垂直にジャンプ。身長が違う上に跳躍力も桁違いで、ぐるりと取り囲んでいた4人はあまりにも無力だった…
小学生の試合としては考えられないほどの高さから放たれた、ヘディングシュート。
森脇は球筋が読めずにゴールラインの通過を許してしまう。女子部に早くも、先制の1点目が入った。
自分たちがやって優勢に進めたかったことを、逆にやられてしまった司は奥歯を噛み締めた。
始まってすぐにリードを背負うと、チームの士気に影響する。それも始まって、本当にすぐの時間だ。
加えて、女子部相手に先制点を許したことが初めてのことで、これが屈辱として残り続ける。

 仕切り直して、今度は男子部のボールで再開。
「まだ始まったばっかだろ…すぐ追いつけばなんでもねーことだ!」
「おぉ!」
 頭を切り替えて攻めに転ずることにした、司と三崎。だが、ボールが思うように通らない。
これは先月の試合でも感じていたことだ。それまで楽々通っていたはずのパスが、カットされてしまう。
こいつらはこんなに攻めにくい相手だったか…そんなはずがないと思いながらも、
今またパスしたボールは女子部員の脚に阻まれ、浮き球になってしまった。
慌てて拾いに行く男子部員2人を差し置いて、最も早く追いついたのはY小学校で6年1組に属する、佐也加。
「いつまでも、同じ手が通じるわけないじゃん」
 その佐也加を起点とする素早いパス回しで、せっかく女子陣に持ち込んだボールは易々とセンター付近にまで戻されてしまう。
そこからさらに速く細かいパスが続き、男子部がほとんど触らないうちに真尋がセンタリング、ゴール直前まで持ち去られる。
その高いボールに向けて小百合が再び跳躍、一度膝で受け止め、返すもう片方の脚でバイシクルシュート!
バレーボールのスパイクにも似た弾道のボールが森脇の目前でワンバウンドし、そのままゴール上部のネットを突き上げた。
11人の少女たちの黄色い喜びの声が湧き上がる中、男子部の中には沈痛な空気が漂い始めた。
彼女たち相手に初めて背負わされた、2点の差。これがとても重くのしかかった。
たった今、あの攻撃が通じなかった『1点の遠さ』を認識させられたばかりだけに。

 心に隙ができたせいか、彼らは今度は蹴り出してすぐにミスを犯し、こぼれ球がいきなり小百合に渡ってしまった!
勝つためには最もボールを持たせてはいけない相手だ。あれだけ注意を払っていたのに…
ドリブルで前進する小百合の前に、三崎が立ちはだかる。
(こいつにボールを持たせとくわけにはいかねーんだ…ちょっと汚い手使ってでも取る!)
スライディングタックルでもなんでもやるつもりだった。
そんな彼を前にしても勢いを止めなかった小百合の足元から、ボールがなくなった。
(消えた!?そんなことが…)
 どこかにパスしたような動作など、全く確認できなかった。ただまっすぐ走ってきているうちに、ボールが消えることなどあるのか!?
さすがにボールを持っていない選手にタックルなどを仕掛けるわけにもいかず、戸惑ったまま小百合の通過を許してしまった三崎。
女の子の匂いを伝える風を感じながら振り返った彼は、さらに目を疑わされる。
通り過ぎて行った小百合が、ボールを保持している!

(あいつ、偉そうに言いながらあっさり抜かれやがって…でも、あんなこと……)
 違う角度からその攻防を見ていた司には、そのトリックが分かった。
小百合はドリブルの途中に一旦ボールを跨いで自分だけ前に出た後、踵でボールを上方に浮かせたのだった。
長身の小百合が背中越しにボールをすくい上げたら、彼女の足元にだけ意識を集中させていた三崎の視界からボールは消えてなくなったように見えたのだ。
突然の異変にまごつくだけの三崎の背後にボールは落ち、それをすぐに小百合は拾い直してゴールへと突き進む…
トップスピードに乗った小百合のドリブルは、もう手が付けるものではなかった。
ディフェンスは後手後手に回り、誰も正面に立って食い止めることができない。
そして、森脇が反応を示す頃にはもうゴールネットが音を立てている弾丸シュートが叩き込まれ、3点目。
試合開始早々に、小百合はハットトリックを達成した。

 女子部員たちの歓声が響く中、センターにボールを運びながら司はより焦燥感を募らせていた。
…前までとは、明らかに違う。
小百合さえ抑え込んでおけば点を失う心配はなかった、女子部のはずが…
攻め込んでもボールを奪われ、それは簡単に小百合に渡ってしまう。
周りの女子選手の動きが素早く正確なものとなり、それを警戒するうちに男子たちは小百合のマークを手薄にしてしまっているのだ。
全体的に、女子部のレベルが上がっている。それも、急速に。
こうして男女対抗戦が行われるたびに、サッカーを教えてあげるように軽く相手をしてあげていた男子部だったが、
そうしているうちに彼女たちは、文字通り教えてもらっていたのだ。サッカーで勝つための動きを。
そして、男子部の攻略法を。
男たちがぬるま湯につかる気持ちで戦っている間、女たちは貪欲に力を取り入れ続けていたのだ。試合中はもちろん、練習中にも。
それに今更気付いたとしても、もう遅い。
窯の中で蓄えられ、滾り始めた彼女たちの力は、今その異変に気づいた男たちが急いで蓋をして、何人覆いかぶさろうが
抑え込むことなどできない、強力な爆発の時を迎えたのだ。
前回の試合が僅差での敗北だったことに対し、今日は現時点で3点ものリードを奪われていることが、その証の一つだった。

 そんなことを考えている間にもボールはまた奪われ、細かいパス回しの末に小百合の前へと転がった。
「そいつに打たせるな!どんなことしてでも止めろ!」
 司の大声に呼応して、男子部のディフェンダー陣が言葉の通り束となってボールに覆いかぶさらんばかりに殺到する。
戦術的にも、そしてルールとしてもすれすれの、なりふり構わない必死の守りだったが…
しかしそれよりも、小百合がシュートの体勢に入るほうが、わずかに早かった。

 ドゴォォッ!!
「ぎゃああ!!」

 団子状態になっていた男4人が解体されるように吹き飛び、その隙間から銃弾のように飛び出したボールが
全く勢いを弱めないままゴールネットに突き刺さって瞬間的にテントを作った。
これで点差は4。ここから彼らが逆転して勝つためには、以後の失点を0に抑えたとしても5点取らなければならない。
センターにボールを置き直そうとする司の足取りが、重くなってくる。
まずこれ以上点を取らせないことが、できるのか…
あの背の高さとジャンプの高さで大きく上がったボールは優先的に取られ、ドリブルとシュートで見せつけられたテクニック、
そしてたった今、小学生とはいえ4人をまとめて吹っ飛ばしてなおかつあの勢いを保ったままゴールに飛び込んだシュートを放つパワー。
何もかもが、違う…司は、青ざめ始めていた。

 その後も主砲の小百合、そして砲弾を装填する女兵士たちの猛攻は手を緩めない。
なすすべもなく被弾、炎上していく男子部。
それも男子部のボールで再開してからそのボールがまた男子部ゴールに叩き送られるまでの所要時間は、ますます短くなっていく。
前半終了時点で20-0。もちろん全て、小百合1人の脚で生み出された得点だ。
サッカーでは考えられない点差に、男子部一同は顔面蒼白となり、ベンチでは誰も口を開くことができない。悪夢のような試合だ。
これまでの2年で、あれだけ連勝してきた優位性などもはや欠片も残っていない。
そればかりか先月の試合の、わずか1点差というのは何だったのか…
こういう場面で真っ先に声をかけ、チームに喝を入れなければならないのがキャプテンの役目なのだが、
そのキャプテンである司が、最も打ちひしがれて下顎を震わせているばかりだ。
休憩場所が、息の音も聞かせたくないほど静まり返っている。
ただ向こうで響いてくる女子部員の楽しそうな笑い声と、グラウンドの周りで鳴く蝉の合唱がBGMになっているだけだ。


 後半戦のキックオフ。
状況は絶望的にしろ、やることは一つであると司は頭を切り替えた。最後まで、あきらめるわけにはいかない。
この屈辱を拭うためには、勝つ以外に道はないのだ。
男子部ボールで始まった後半、司はドリブルで進軍し三崎へとボールを流す…
 ガッ!
「!?」
 やや遠めで三崎をマークしていた真尋が、このパスを待っていたとばかりになだれ込み、ボールをカットする。
カットするというより、真上から踏みつけてボールを静止させてしまった。信じられないスピードだった。
「この前、普通にやれば勝てるなんてかっこいいこと言ってたよねぇ」
「うっ…!」
「今から私たちに1点も取らせないで、これから21点取って鮮やかに逆転勝ちしようって言うの?
できたら素敵よね。できたら」
 間近の三崎を見据え、真尋は爪先でボールを小刻みにリフティングしながら嫌味を投げかける。
「前半は小百合だけにボール集めて、なんだか弱い者いじめみたいなことしちゃってごめんね。
後半は私たちも、普通に戦ってあげる。頑張って追いついて見せてよ、時間はあんまりないけど」
 ズドッ!
 真尋は言い終わると同時に一際ボールを高く舞い上げると、さらに強く蹴り込んで遠くに飛ばした。
真尋もチーム内でパワーは上位に位置する選手。かなりの距離のロングパスを放てる存在だ。
「くっ…守れ!守れーっ!!」
 ここからなら、ダイレクトで小百合にボールを届けることができるはず。実際、ボールは男子部陣地のかなり奥まで飛んでいる。
だがそこに、小百合の姿はなかった。代わりにいたのは5年生のFW、薫だった。
薫は小柄であり、その近くにいたどの男子部員よりも背が低い。
もらったとばかりに一斉にジャンプ、ボールを回収しようとした男たちだったが、
「!?」
 その輪の中で最も小さいはずの薫が、頭一つ以上抜け出た高さで飛び上がっていた。
彼女の後ろにいた男子部員の視界が、彼女の背番号に覆われたほどだ。
彼らの、誰の頭にも届かなかった高いボールを薫は胸でトラップ、ボールを保持したままスルリと輪から抜け出す。
ゴールの隅ギリギリに蹴り込んで21点目。小百合以外の部員が記録した、初ゴールだった。
言葉が出ない司の後ろを通り過ぎながら、真尋が囁く。
「あーあ、22点取らなきゃいけなくなっちゃった。気合入れてよね、エースストライカーさん」

 試合再開後、センターサークルから司は勢いよく飛び出し、一気に女子陣地奥深くまで攻め込んだ。
男子部で一番の実力者である司だ。本気で攻めに入ったドリブルがそう簡単に止められるはずがないと、単身突っ込んでいく。
実際複数の女子部員をかわし、綺麗に敵陣を裂いて行ったのだったが…
1人だけでどうにかするのにはやはり限界がある。司の正面に、女子部員3人が立ちはだかる。
パスでかわそうにも、まだ仲間が追い付いてきていない。
見返そう見返そうとする気持ちがはやりすぎたのか、それはあまりに拙速な攻めだった。
このままボールを持ち続けていても前に出ることはできない、とりあえず仲間の中で最も前に出てきている三崎に一旦渡そうとした直後、
もうそれは見透かされていたのか、苦し紛れのパスは5年生のDF、妙子の脚に食い止められてしまった。
女子部でも最長身である177cmにもなる彼女を見る司の目は、まるで目の前にそそり立つ壁でも見るかのようなものだった。
足が遅いという、サッカー選手として致命的な欠点のある妙子だが…反面彼女には、こんな武器が備わっていた!

 ボゴン!
「……!!」

 敵陣のゴールまであと少しという場所からクリアされたボールは、とてつもなく高い軌跡を描いて一気に自陣のペナルティエリアまで送り返された。
サッカーボールがまるでゴルフのように飛んでいく非現実的な事実を、司は呆気にとられて見ているしかなかった。
攻勢ムードから一転、瞬時にして逆に追い詰められた男子部が浮足立つ中、その超ロングパスの落下点には英里香が入っていた。
隣の校区・M小学校の児童だが、この練習用グラウンドが家から近いとの理由でこの南町FCに入団した6年生の英里香。
妙子が放った大飛球がワンバウンドした直後に蹴り込んだハーフボレーシュートは、より勢いを増してゴールポストを直撃し、
直角に跳ね返ってネットを叩いた。
これで、22-0。
強烈なシュートの衝撃がまだやまず、あちこちに錆が来ているゴールからパラパラと焦げ茶色の粉が舞い落ちてくる中、
立ち尽くしている森脇に、英里香が近付く。
「フフ、驚いたでしょ、妙子のキック。他のことはイマイチだけど、あの力だけなら小百合以上かもね。
あの子が間近で打ってきたシュートも、味わってみたい?」
 その言葉に、傍目からわかるほどビクッと怯えの感情をあらわにした森脇の姿に、
英里香は両手で口元を隠し、肩を震わせながら自陣へと帰っていった。

 再開間際、22点もの大差をつけた今になって女子部は円陣を組んだ。
「…?」
 遠目から眺めているだけではどんな話をしているのかは当然聞き取れなかったが、千里が強い口調で何かを叫んでいるのだけはわかった。
そしてしばらくしてから、千里がひときわ気合を入れた調子で大声を張り上げると、残りの10人もオーと叫び、円陣を解いた。
(今頃何の作戦だって言うんだ…)
 司と三崎はボールをセットし、敵陣へと蹴り出した。
しかし、司の足はすぐに止められる。明らかに、守備がより堅くなった。
前線に出てきた仲間にも、すぐに厳しいマークが付けられている。
女子部員の目つきが、鋭さを増したように感じられた。
…そう、これが、さっきの円陣の意味だったのだ。

 女子部で最も点数を取ることのできるエースは小百合だが、チームをまとめる能力で言えば千里がNo.1だった。
全体を見る才能があり、時に厳しくものを言うことができる。これは身体的能力は高いが気の小さいところがある小百合にはできないことだ。
前半で大量リードしたことで、チーム内に気の緩みが出てきたことを千里は見抜き、すぐ行動に出たのだろう。
キャプテンに相応しい、的確な判断と統率力を持つ少女。
一方、男子部キャプテンの司はそれだけの器なのか…内面的にも差をつけられてしまった屈辱を感じ、胸のざわめく司だった。

 自分で切り込むこともできず、パスも通せない状況でまごつくうちに、司は素早く踏み込んできた真尋にボールを奪われてしまう。
ボールは取り返そうとする男たちを嘲笑うかのように矢継ぎ早に回され、小百合のもとに渡った。
(くそっ!ここで絶対に止めるぞ!!)
サッカー選手としての身体能力のみならず、キャプテンとしての資質まで抜き去られた悔しさを払拭するには
ここで俺があいつから直接ボールを奪い取る以外にはない!と司は思った。彼にとって、これが最大のチャンスだった。
全速力で自陣へと戻り、小百合の正面に立つ。しかし、ここからが問題だった。
前半戦であれだけのテクニック、スピードを見せつけてきた小百合だ。どう動いて抜いてくるか、全く読めない。
どちら側に動いても反応できるようにと思ううちに、司の姿勢は不自然に両脚を開いた不格好な蟹股になってしまっていた。
「足立君、それじゃガラ空きよ」
 シュパーン…
 小百合は、彼女の動きを警戒しすぎるあまりかえって動きを悪くしていた司の脚の間を、正面に蹴り出してあっさりと抜いてしまった。
女子部員たちからドッと笑いが起こる。
「く…くそーっ!!」
 悔しさと恥ずかしさで真っ赤になりながら、司は反転してボールを追いかける。しかしそのボールは、すでに千里に渡されていた。
さっきの司の醜態をつい思い出してしまい、吹き出すのをこらえながらでも、千里は持ち前の俊足を飛ばして
男たちをまるで障害物競走のカラーコーンのごとく軽々とかわし、単騎でゴールまで突き進んでいく。
そしてそのまま、キーパーの森脇をもドリブルで突破し、自分ごとゴールへと駆け込んで見せた。
23-0。
千里はドリブルしたままセンターへと引き揚げ、軽く司にパスしてすれ違いざまに、
「なんなの、さっきの…笑わせないでよ。せっかくあたしが気合入れ直したのに、無駄になっちゃうでしょ」
 より司の恥辱を煽りながら、駆け抜けていった。

 まだ顔を赤らめたままの司は敵陣を見渡し、今度は右方向へと攻め込んでいく。
そっち方面で守備についているのは、まだ4年生のDF、奈々美と由依の2人だった。
この南町FC女子部には、現在部員が11人ちょうどしかいない。
補欠不在のため、所属する全員がレギュラーなのだ。
なので、数か月前に入ってきたばかりの4年生2人も正選手として試合に出ている。
肉体的にも試合経験的にも未熟な彼女たちのポジションから攻めていくのが楽なのは明らかだった。
とにかく点を取りたい一心で、なりふり構わず弱いところから仕掛けていこうとする司。
しかし…
「ガキだから、簡単に抜けるとか思った?」
 前の試合まではフェイントでもしてやれば簡単に騙されて通過できたはずの奈々美を、引き剥がせない。
反応が鋭くなっている。もうドリブルで抜ける気がしない。
遅れて上がってきた他の男子部員に、不本意ながら一度渡すことにした…が、
それが渡る前に滑り込んできた低い人影に遮られてしまう。
スライディングで脚を伸ばした由依が、カットしたのだった。
「相手がいつまでも、同じレベルだと思ってちゃダメだよ」
「くそ…なんでこいつらがこんな……!」
 スライディングから立ち上がるスピードも速く、由依はそのまま敵陣へと駆けていく。
止めに入る男たちを、奈々美とのワンツーで教科書通り綺麗に抜いた。
さらに千里を交えたパスワークでほぼ止まることなくゴール前に到達。
さすがに4年生のシュートまで通すわけにはいかない森脇は体格の違いに物を言わせるようにして飛び掛かるが…
奈々美はその裏をかくように上方向にチョコンとキック。
ボールは勢いよく前へと飛び込んでいた森脇の頭を飛び越え、ゆっくり弾みながらゴールに入っていった。
24-0。
「少しは頭使えば〜?」
 虚しく自分だけ土に飛び込んで泥にまみれた森脇を見下ろした奈々美が、自らの頭を指差し挑発しながら帰っていく。
その後、奈々美と由依を入れ替えたビデオのリプレイのように男子部はボールを奪い取られ、またゴール近くにまで運ばれてくる。
さっきのことがあり、思い切って飛び出せない森脇。由依はまるでそんな心理状態を読んだかのように
PK戦の要領でサイドに向けてシュート。踏み込みが甘い森脇は手が届かず、またも簡単にゴールを許してしまった。
25-0。

 ここで、男子部は気付かされた。『普通に戦ってあげる』の意味を。
前半は小百合を使って攻めまくった女子部だったが、後半は打って変って彼女を前線から退けている。
小百合1人を抑えておけば点など取られるわけがないというそれまでの楽観的な見方に彼女たちは気付いていたのか…
小百合以外のメンバーでも、楽に点を取れることを誇示したかったのに違いない。
これまで小百合1人をマークすることばかり考え、戦ってきた男子部にとって、これは脅威だった。
他の女子部員たちも、能力は自分たちが背伸びしても届かない領域にまで向上した少女ばかりであることは
21点目以降の失点からも容易に想像がつく。
小百合ほどではないにしても、誰がその高いポテンシャルで襲いかかってくるかわからない…
注意を集中できない恐怖に、男たちは怯えた。

 26点目は前線に飛び出してきた妙子のロングシュート。
こいつには打たせられないと止めに入ろうとした男たちなど、彼女のパワーの前にはボウリングのピンでしかなかった。
たとえ11人全員が一ヶ所に集まって止めようとしたとしても、本当にまとめてなぎ倒されてストライクとなっていただろう。

 薫がまたハイジャンプで高い弾道のパスを回収、ヘディングで渡したボールを佐也加が合わせて27点目。
28点目は佐也加と同じ同じく6年1組の美紀がボール跨ぎフェイントで男たちを翻弄、そのまま押し込む。
29点目は…
「あんたたちが全然来ないから、暇でしょうがなかったじゃない」
 他校から来ている6年生のキーパー、香奈が一気に突っ込んできた。
そう、この試合では男子部は得点を挙げるどころか、DFさえ突破できず相手ゴールを脅かすこと自体がなかったのだ。
パスを受けた香奈がシュート、やや上にそれてクロスバーを直撃する。
 ガゴ―――ン!!
 独特の音が響き渡り、ゴールの足元にはほんの少しずれた跡が残った。
跳ね返ってきたボールをすかさず再び打ち直す。1発目の勢いと頭上で発生した轟音に怯んでいた森脇が取れるはずもなかった。
「あんた、キーパーとして才能ないよ。やめれば?」
 冷たい言葉を吐き掛けながら、香奈はゴールから転がり出てきたボールをセンターへと投げ返した。

 出場している全員で1点ずつ取って、後から何も言い返せないほどの完全勝利を狙っているんだ…
彼らは今更ながらに思い知らされた。
そうなると、あのメンバーでまだ得点を挙げていないのは、真尋1人!
マークする的は決まった。少なくともこんな恥ずかしい記録だけでも、阻止しなければならない!
「あれ〜?勝つのはあきらめちゃった?あと、ほんの30点取るだけでいいのに」
 パスこそつなぐが、明らかに侵攻の勢いが弱まった男子部の様子を目ざとく見抜いた千里が、司の進路を塞ぎながら言う。
司の様子を見ながら、その癖にはすぐに気付いた。
真尋のいる方に向くのを、ひどく嫌がっていると。
「あの子に打たせるのが怖いから、時間稼ぎ?大変だよ〜、あと10分ぐらい残ってるから。
そんなことより、もっと有効に使えばいいのに。20秒に1点ぐらいのペースで点取れば、まだ間に合うって」
「く、このっ…」
「わかってるわかってる、無理だってことは。ただ言ってみただけ」
 スパン!
 司の狙いを言い当てて動揺を楽しんだ後、千里は脚を伸ばして軽くボールを奪い取った。
取ろうと思えばいつでも取れることを示した一幕でもあった。
ひとまず近くにいる佐也加に渡し、すぐにワンツーで千里がまた受け取る。そこから真横に蹴って、その先には真尋が…
「!!」
 シュートを警戒し、構える男子部。しかし、真尋は軽く笑みを浮かべて…薫に流した。
真尋のシュートを意識してゴール前に男たちが集中したため、薫がノーマークになっていた。
薫のいる地点からゴールへの直線上には森脇しかいない。ここで打たれればほぼ確実に入れられる、男子部にとって危機的状況。
だがそこで薫はバックパス。わざわざゴールから離れた小百合に渡した。
男たちは混乱した。何の狙いがあっての行動なのかと。
しかしボールを取り返さないことには何にもならない。奪いに向かう彼らだが、
ボールはそんな彼らの一歩先を行くようにしてあちこちに回される。
小百合から英里香、英里香から奈々美、奈々美から由依、由依からまた千里に…

 いつしか香奈以外の10人が男子部陣地内に展開し、細かいパス回しで男たちを延々弄ぶ図となっていた。
これまでの流れでどの辺に転がせば取られるか、どのくらいの高さで蹴れば大丈夫かと
男たちの技量は女たちにすっかり見切られていた。
ギリギリのところで届かせず、ボールに触らせない。取らせるどころではなく、触らせないのだ。
散々走り回らされ、遊び道具として扱われ、疲弊していく男たち。
「サッカーのお勉強し直させてあげる。優しいあたしたちのサービス♪」
数分間翻弄され続けてどんどん動きが悪くなっていく彼らを、千里が笑う。

 男たちを引きずり回して遊んでいる間に、試合終了の時間が迫ってきた。
「さーてと…そろそろいいかな」
 ボズッ!!
「ふ……ぅごぉぉぉ」
 パスを受け取った真尋が頃合を見計らったかのように真正面に蹴り出して、前を塞いでいた三崎にボールを直撃させた。
鋭い球がみぞおちにめり込み、三崎は瞬時に脂汗の玉にまみれて、夏の熱した地面に崩れた。
「せっかく触れるようにしてあげたのに…何ボサっとしてんだか」
 走り出す真尋の前に、男子部員2人がまた立ちはだかる。
「君も欲しいの?ほら」
 バシーン!!
「ああ!!っがぁぁ……」
 至近距離から繰り出されたボールが、今度は彼の太腿側面を襲った。
「取れるチャンスだっていうのに…根性ないね」
 真尋は2人を置き去りにしてさっさとゴールに向かう。
悶絶しながら土の上をのたうつ男と、もう1人はその音と悲鳴にすくみ上がり、何もできずに行かせてしまった。
「さ、立ってるだけのお人形さん。覚悟はいいかな〜?」
「あ…ぁ…ぁ……」
 男2人をKOした真尋がゴールに迫ってくる。最後の標的に据えられた森脇は、陰嚢が下腹部に埋没するほど縮こまらせて震える。
ボールを持ったままかなりの至近距離にまで迫ってくる真尋。この距離で、シュートなど当てられたら……
「ほらぁぁ!」
「ひいいっっ!!」

 ザッ!!

 わざと森脇のいるところに蹴り込んだ真尋だったが、森脇は恐怖のあまり逃げ出してしまっていた。
主の飛びのいたゴールにボールは突き刺さり、ネットが突き破れそうなほど張りつめた。
「ふーん、一応は動けるんだ…キーパー失格の、チキンだけど」
腰に手を当てた真尋の侮蔑の視線の先には、横になったまま頭を抱えて丸まっている森脇の間の抜けた姿があった。

 ピピ――――ッ……

 ここで試合終了のホイッスル。
小百合が20得点、他の女子部員たちが1点ずつ取っての10得点、合計30-0という圧倒的スコアで
南町FC女子部は完璧に男女逆転を印象付ける連勝を飾ったのだった。


「さて、と…こうなったら挨拶はどうするんだっけ?」
 千里が意地の悪い笑みを浮かべながら、先に整列を済ませてうなだれたままの男子部の周りをゆっくり歩いて回る。
「『お願いですからもう一回試合してください』って頭下げに来たのは覚えてるよねぇ。自分たちがしたことなんだから。
そんな君たちの熱意に負けて、あたしたちは貴重な時間を割いて相手になってあげたの。
後半はみんなで、みっちりサッカーの基礎から教えてあげたしね。
そんな大変お世話になったあたしたちに、どんなご挨拶で応えるのかなって聞いてるんだけどな〜」
 千里は腕組みをしながら司を見下ろしてくる。
千里が暗に要求していることがわかった。これだけの惨敗を喫した今、逆らうことなど許されない。

「あ、ありがとうございました……」
 サッカー部としての先輩、男としてのプライドなど残らず剥ぎ取られた司は、女の子の足元で丸くなり、額を地面に押し付けた。
その姿に他の男たちもやや遅れながら一斉にひれ伏す。
頭の上から、6年生から4年生までの黄色い大笑いが降り注いできた。
「なにこれ、だっさーい」
「ほんとにこんなことする人いるんだー」
「お似合いよ、弱虫君たち」
「今日から、ドゲザーズっていうチームにすればいいのに」
「いつまでも格下だと思ってた女の子相手にヘコヘコする気分はど〜ぉ?
ほら小百合、同級生の司がこんなに頭下げて感謝してくれてるよ。足でいい子いい子でもしてあげたら?」
「やめて、千里!」
 小百合は女子部員たちの嘲笑をかき消すように大声を上げ、土下座し続けている司のもとに両膝をついた。

「足立君…もういいの。もうやめてよ、こんなこと…
私がここまでいっぱい点を取れるようになったのは、足立君たちのおかげなんだし…
足立君たちもこれから、もっと強くなれるはずだもん。よく頑張ったよ、今日は…」
 司の背中を撫でてあげる小百合。
しかし、この悲惨な状況の中で優しい言葉をかけられることが、司には最もこたえることだった。
胸と喉の奥が詰まり、こみ上げてくるものが抑えきれない。司は真夏のグラウンドの土に、大きな染みを広げ始めた。
「うっわ、何あれ…女の子に優しくされて泣いてる〜」
「マジでみっともない。二度とこんなのと試合なんてしたくないよね」
「帰ろ、小百合。そんな奴ほっといていいから」
「う、うん…足立君、私、応援してるから!」

 彼女たちが去った後も、残された彼らはその土下座の姿勢を崩せずにいた。
悔しさ、惨めさ、そしてとどめに与えられた小百合の優しさに、顔の下の土の地面が水たまりになっても涙が止まらない司。
こんな涙でグチャグチャになった顔を、他の部員に晒すことなどできなかった。
そして、違う意味で立ち上がれなかった他の少年たちのうち、数名。
優れたアスリートの少女たちに、スポーツで二度と立ち直れないほど打ちのめされる悦びに開眼してしまった彼ら。
攻撃は全く通用せず、守りもあっさりと打ち破られ、まず敵わない力でのシュートで次々とゴールを奪われていく。
とどめに、後半戦ではボールに触らせてももらえずオモチャにされる恥辱の10分間、そして土下座、罵詈雑言のシャワー…
男のスポーツだと誇っていたサッカーという聖域に、なすすべなく踏み入られ犯されていく絶望感…
それが、なまじスポーツの腕があり自信に満ちていた男ほどはまりやすいとされる禁断の悦楽。
スポーツマゾの世界の扉が開き、女の子の脚でその中に蹴り落とされ、どこまでも堕ちていくようなゾクゾクした惨めな快感。
小学校高学年という思春期の入り口に、その味を教えられてしまった彼らは、
幼い肉茎をハーフパンツの中で張り詰めさせてしまい、今立ち上がることなどできないのだ。
中には女の子たちから罵られているうちに射精してしまい、股間に大きな染みさえ作っている少年もいる。
日が傾き、空が赤くなり始めてもなお、男子部は情けない姿勢を崩せないままでいた…


 後日。
南町FC男子部は、いまだ女子部に再戦の申し込みをできていない。
部員数が、試合の出来る人数を割り込んでしまったからだ。
あの大惨敗のショックから、補欠を含め10人ものメンバーがチームを去っていった。
すっかり自信を打ち砕かれサッカーボールを見ることさえ嫌になってしまった者、
女子部のユニフォームを見かけるだけで被虐の思い出から勃起してしまう者、色々いる。
中でも副キャプテンの三崎と、キーパーの森脇が抜けてしまったことが痛かった。
主力を失い、主戦力と呼べる選手はもはや司のみ。司はまだ女子に対する対抗心を捨てておらず、
どうにか人を集めて雪辱のチャンスを求めているのだが…
このまま数ヶ月、新たに入部者がなかった場合は廃部と監督から聞かされた……


 つづく