妹のマウンド 第7話

実力(後編)

 頭の中にもわもわと沸き起こる雑念を必死に振り払いながら、ボールをリリースする。
とはいえ完全に平常心を取り戻せていなかった彼が放った、いわゆる棒球に
打席に立つ愛の瞳がキラリと光った。

 ガキィィン!!
「うっ……」
 …その音で、一瞬にして血の気が引いた。
自らが投げた球のスピードと比較にならない勢いで、白いボールが視界から消えていった。
マウンドに立つ少年が我を失うほどに焦って後方を振り返ったときには、その視線の遥か先、
外野のさらに奥の、グラウンドの金網製バックネットがガシャァンと音を立てて揺れていた…
金網の上段のほうに勢いよく突き刺さったボールは、しっかりと挟まり込んで抜ける様子がない。
文句の付けようのない、2ランホームラン。完敗だった…

 ゆっくりと走りながら、まず三塁走者の理沙がホームインしてくる。
「あーあ、あんなにバカにしてた女の子たちに打たれちゃった。かっこわるーい」
 ホームベースを踏んでから、理沙はドルフィンズのキャッチャーの顔を執拗に覗き込みながらからかいの視線を浴びせる。
彼が恥ずかしさをごまかそうと、うるさそうにしながら顔を背けるたびに、しつこく付きまとって視線を合わせてくる理沙。
「偉そうなこと言っといて、全然大したことないじゃーん」
「もしかして男子って、こーんな程度なのぉ〜?」
 先ほど浴びせられた暴言を何倍にもして返すような、理沙のわざとらしくおどけた言葉嬲りは
バッターの愛が大喜びでホームに到達してくるまで延々と彼を襲い続けた。

「愛ちゃん、ナイスバッティング!」
 パチン!
「えへへー、タイミングバッチリだった」
 理沙が飽きたかのようにキャッチャーのもとをサッと離れ、ホームインした愛を笑顔で迎えてお互いの手を叩き合う。
ようやく羞恥責めから開放されたキャッチャーの少年は、理沙が遠ざかって行ったのを横目で確認してから
引き上げていく少女2人の姿をついチラリと目で追う。
顔だけ見れば普通のかわいい女子小学生らしい笑顔を見せている愛、
だがその下は大人の女顔負けの爆裂ボディがピチピチとユニフォームに窮屈な横じわを刻ませ
その中身からは男も尻込みするような特大ホームランを放つ爆発的な力を生み出す、驚異の体…
つい無意識のうちに目が追いかけていってしまい、彼自身は不自然な前傾姿勢へと変わってしまう。

 続いて打席に立ったのは、夏美。
またも女か…そう思いながら、またその夏美の体つきにも圧倒されてしまう彼がいた。
先ほどの愛ほど『女』を感じさせる肢体ではないにしても、その腕、太腿の逞しさは愛をも超える迫力で、
いわば男勝りの肉体だった。
愛とはまた違う種類の威圧感が、15m以上離れたマウンドに立つピッチャーの少年をもたじろがせていた。
(く、くそっ…どうして女なんかにビビらなきゃいけないんだ!)
 心の中の叫びで自らを奮い立たせ勝負をかけるも、
実際に投げたコースが彼の心理状態を何よりも如実に表していた。
1球目、2球目ともに、キャッチャーの要求した以上に外角にそれてしまっていたのだ。
さっき愛に、男にも打たれた経験のない飛距離での本塁打を喫したことが、
彼の心に影が覆うかのように、恐怖感をじわじわと覆わせていたのである。
まして今相対する夏美はあの愛も凌ぐほどの逞しい腕をユニフォームの半袖から突き出してバットを握っている。
これを見て、おいそれとストライクゾーンに投球できるほど彼は肝が据わっていなかった。
しかし、男のスポーツたる野球で女相手にボールカウントを先行させている様も
かなり恥ずべき姿ではないか―――そんな葛藤も、男子バッテリーは共有していた。
女を怖がって歩かせる、勝負から逃げたと思われてはそれこそ恥さらし…

 意を決して、彼はストライクゾーンギリギリを狙いつつ、それでも外角に逃げる投球を3球目に選んだ。
 ガキィィッ!
 大きく踏み込んだ夏美が、ついにバットで男たちの弱気を叩いた。
逃げの姿勢を続ける男に痺れを切らせたかのように。
ストライクゾーンをやや外れた外の球を、夏美のバットの先端が捕らえた。
(そんな…!あれだけ芯から離れた部分で打って、何であんなに飛ぶっていうんだ!?)
 そろってゾクリと背筋を冷たくする、ドルフィンズバッテリー。
大飛球となった夏美の打球は、全速力で追いかけるレフトの頭上を遥かに越えてバウンド。
楽々二塁まで到達する夏美。
「フン、それだけワンパターンな配球を続けたら打たれて当然でしょ。別に見送ったって良かったボールだったけど」
 普通の打者ならバットの先端に当ててあそこまで飛ばせることはあり得ない、
良くて浅い外野フライどまりであろう。
ひとたび喧嘩となれば相手の男子を一撃で戦意喪失に追い込む怪力の夏美だからこそ可能な長打であった。
「くぅぅぅっ、お、女のくせに、女の、くせに…!」

 とはいえ、2アウトなのでこの次に控える打者を打ち取りさえすれば傷口は最小限で済んだのである。
しかし都合の悪いことに、2連続で女子に大きな当たりを打たれ動揺の激しかったドルフィンズは
続く哲夫にフォアボールを与え歩かせてしまった。
平常の精神状態なら何ら恐れることもない、カモ的存在に過ぎない哲夫を、みすみす…

 ズンッ。
「ヨロシク、オネガイシマス」
「う、ぅっ…」
「で、でかい…!」
 続いてバッターボックスに入った、その巨大な存在に、キャッチャーも主審も息を飲んだ。
…一体どの部分を見て『でかい』と言ったのかは定かではない。

 南町ライオンズの新人女子メンバー、ジェニー・レイン。
克臣、誠、理沙の同級生で、理沙がライオンズ入りを決めたときに誘った超大型新人である。
今年の4月にあった身体測定で181cmという、小学5年生としては規格外の数値を見せた巨女であり、
愛をも上回る長身。夏美をも凌ぐ各パーツの逞しさ。
こうして近くに寄ってくると、高校球児がメジャーリーガーを前にしているような、滑稽なまでの対比となる。
ヘルメットからのぞいて伸びる、美しいブロンドのロングヘアがその肉体と対照的だ。
そして彼らが最も目を奪われたのは、やはり胸だった。
これも育ちの違いと呼ぶものなのか、一体何を食べたらこんな肢体が形づくられるのであろう。
同級の小柄な男子と向かい合えば、お互いの顔が見えなくなってしまうスーパーヘビー級のバスト。
自分たちがよく読む少年向け雑誌のグラビアでだって、こんな迫力を持つ2つのふくらみは見かけることがない…
両軍の男子ともに、まじまじと見てはいけないと働く理性と、つい目が釘付けとなる欲望との狭間で
猛スピードで振り子が揺れていた…

 愛が着用しているユニフォームだって、小学生用として想定された中で最大サイズのものなのである。
その愛も「きつい」と言っているユニフォームと同サイズを、ジェニーも仕方なく着ている現状。
まるでそれは拘束具のごとく、彼女の胸、お尻、太腿の形をくっきりと浮き彫りにしてしまっている。
少し歩くだけで、中のバストから押し上げられるユニフォームの胸の部分が、上へ下へ大きく躍動。
ローマ字の筆記体で書かれたチームロゴ全体が、目の前の男たちを威嚇するかのようにズンズンと上下する様子に
彼らは飲み込んでも飲み込んでも際限なく溢れる生唾に、皆人知れず苦闘していた。

 普通の男子たちが使用するものと全く同じはずの金属バットだが、
この大きなジェニーはまるでプラスチックの定規でも扱うかのように軽くブンブンと振り回して見せる。
それが生み出す、他の選手とは明らかに違う風圧に相手キャッチャーは威圧されてしまう。

 プチン!
「いたっ!…ぇ、えっ?うわあぁっ!!」
 一瞬、何かが飛び出すような音とそれが顔に当たった衝撃に戸惑ったキャッチャーの少年だったが、
その正体に気付いた瞬間にはさらなる衝撃に見舞われた。
「Oh...コノユニフォーム、ヤッパリ、チイサスギルネ。キュウクツデス」
今顔めがけて飛んできた物体は、ジェニーのユニフォームのボタンだったのだ。
前を留めるうちの、上から2番目のボタン1個が内部からの圧力に負けてついにちぎれ飛び、
ボタン1個分の隙間だけ大きく左右にはだける感じで、日本の店頭ではまず販売していないと思われるカップのブラに包まれた
そのメートル級バストの谷間があらわとなったのだ。
言葉を失う男たちをよそに、
「デモ、ヒトツグライ、ハズレテモ、モンダイアリマセン。コノママ、プレイ、ツヅケマス」
 大して気にも留めない様子で、ジェニーはそのまま素振りを続ける。
ボタン一つの締め付けから解放されてもなおユニフォームをパツパツに張り詰めさせるジェニーのダイナマイトボディは
バットをスイングするたびに、真正面に突き出されたバストも凄まじい勢いでプルンプルンと波打ちながらスイング、
谷間部分を露出させた異常事態でのそれには、小学校高学年にもなる男子たちにとって目に毒以外の何物でもない。

 守備に付く男の子たちはおろか審判までが目のやり場に困りまともに正面を向けない状況に、慌てて瑠美子が駆け寄ってきた。
「本当にすみません、この子、あんまり体つきが凄いから…在庫にあった中でも一番大きいのでも収まりきれなくて。
できるだけ早いうちに体に合ったユニフォームを用意しますので、今日は何とか、我慢していただけませんか。
本当に、申し訳ありません…」
 こんな理由で謝りに行かなければならないなんて想定もしていなかった瑠美子まで顔を赤らめて、
何度も主審に対して頭を下げると恥ずかしそうに引き上げていった。
瑠美子の低頭しながらの言葉を聞いていた主審は、その瑠美子よりも頭を低くしていなければならなかった。
まっすぐ立っていたら、ズボンを前方に向けて持ち上げる勃起を若い女子大生の瑠美子の前に
破廉恥に突き出す格好となってしまうからだった。
それを気付かれまいと汗びっしょりになりながら続ける彼の不自然に低い姿勢は、
瑠美子が去っていってからも崩すわけに行かない状態だった。
…これほど周りの男という男を鼻血噴出寸前まで悶え苦しませておきながら、
当のジェニーはなぜ彼らがこんな挙動不審な状態で前屈みになっているのか全く理解できず、きょとんとするばかりだった。
「What?ミンナ、ナニカ、オカシイデス。ドウシチャッタンデスカ?」

 ガアアアアン!!
 試合再開直後、
愛や夏美が握るよりさらにバットが細く短く見えてしまうジェニーの体躯と豪腕により、
少年野球で使われる軟球がまるでゴルフボールにでも変化してしまったかのような錯覚が、
あんぐりと口を開けたまま閉じることも忘れて空を見上げる少年たちを見舞っていた。
白いボールは瞬く間に小さくなっていき、信じられない速度と角度で青い空へと吸い込まれていった。
グラウンドの外までボールが飛んでいくことを防ぐための金網が、何の役にも立たないほどに。
(うふふ、タイミングといい当てた位置といい、お世辞にも完璧とはいえないバッティングだったけど
まさかあそこまで飛ばしちゃうなんてね。ここまでのパワーの持ち主は見たことがないわ。
基礎さえしっかり押さえてくれれば、これはもう手の付けられない大砲になりそうね)
 見た目のインパクト以上の大型新人の出現に、瑠美子はこれまでにない手応えをつかんだ様子だった。

「Yeah!!」
 オーバーアクション気味のガッツポーズで180cmオーバーのジェニーがダイヤモンドを周回し、同時に100cmオーバーの爆乳が
ドリブルされるバスケットボールのように激しく弾んで内外野の男子たちの度肝を抜く。
夏美、哲夫、続いてジェニーがホームイン。
第2ボタンが吹き飛んだことでちょうど胸元だけがガバッと開いて、深い胸の谷間がまるで水着のように
強調された状態でゆっさゆっさとこぼれそうに上下する様子が、思春期を迎えた男の子たちのちょうど目の高さで
繰り返されているのだからたまったものではない。
彼女のユニフォームのボタンがそうなったように、敵味方を問わず男子たちはそろって
パンツもズボンも突き破ってしまいそうに怒張、包皮に激痛が走って口に出せない悲鳴で悶える男子や
ユニフォームに恥ずかしい前染みを作ってしまっている男子もちらほら見受けられる。

 生汗を浮かべながら、続く男子バッターをどうにか三振に切って取りようやく3アウトとしたドルフィンズだったが
スコアボードに刻まれた『5』という数字がとても忌々しく、情けなく思えてたまらなかった。
相手が男子ばかり9人だったときにはきれいに3人ずつで片付けて完全に抑え込んでいたというのに、
向こうが女子を4人入れた途端にこの様はいったい何なのか。
男として名折れ、東町ドルフィンズ史上に残る汚点とも言うべき恥のイニングだった。
これ以上、女の混じったおかしなチーム相手に手こずるところなど人の目に晒すわけにはいかない。
「いいか!次の回で6点取って一気にコールドで終わらせるぐらいの気持ちでやれ!
これ以上女なんかにいいかっこさせるな!!デレデレしてる奴は下げるからな!!」
 キャプテンの怒声が青空に響いた。
ベンチの前で円陣を組み、気合を入れ直したドルフィンズナイン。

 1アウトを取った後、哲夫はライト越えの長打を浴びてしまった。
哲夫の直球は球質が軽く、バットの芯で捕らえられれば簡単に大きい当たりを打たれてしまうのだった。
ドルフィンズの打者は悠々セカンドまで到達、またも失点のピンチを迎えてしまう。
また弱気の虫が頭をもたげ始めた哲夫に、夏美が近寄ってアドバイスを送る。
「ほら、またそんな情けない顔しないの。
あたしたちを信じて、ドーンと強気で攻めなさい。弱気は一番の敵なんだからね」
「そうよ、お兄ちゃんは男の子なんだから、向かっていかなくちゃダメ」
 いつの間にかサードから愛までが近寄って、見下ろしながら哲夫の背中をバシーンと叩いて戻っていった。
「げほっ、ごほっ…く、くそぉ、あいつら生意気な口ばっかり…」
 背中に突然くわえられた強い衝撃にのけぞって咳き込みながら、
哲夫は女子の同級生と妹から浴びせられた叱咤激励に胸をチクチクと痛めつけられた。

 哲夫は夏美のリードに引っ張られるように、続く打者を内野フライに仕留め2アウトまでこぎつけたが…
 カキィン!
「しまった…!」
 次の打者には甘く入った球を打ち返され、セカンドの上を越されてしまった。
いくら足が速く守備の巧みな理沙と言えど、頭上高く超える飛球までは処理しきれない。
右中間の当たり。センターに入っているジェニーがワンバウンドで追いついた。
2アウトなのでバットに当たった瞬間からスタートを切っていたセカンドランナーはサードを回り一気にホームへ。
(女の肩であそこからバックホームなんて無理に決まってる。もらったぜ!)
 ドオォォン!!
「なっ…!?」

 サードを回って走ってきていた走者の目には、瞬時に1本の白い線が走って夏美のミットに突き刺さったように映った。
そしてそのミットから地鳴りも伴うような重く大きな音が聞こえてから、それの正体が彼にはわかった。
…センターからの、返球だったのだ。
「コレイジョウ、テンハアゲマセン。ワタシ、エントウニハジシンアリマス」

 彼が今まで野球をやってきた中で、こんなスピードで球が飛ぶところなどは見た経験がなかった。
サードベースからホームまでの、中間からややホームよりにすぎない位置で彼の足は完全に止まってしまった。
頭の中が真っ白になってその場で動けない彼の胸に、歩み寄ってきた夏美のキャッチャーミットがポンとタッチされる。
「アウト!」
 胸に伝わった感触と審判の声でようやく我に返ったランナーの少年は、ただその場にヘナヘナと座り込んでしまい
そのまま数秒間立ち上がることができなかった。
3アウト、チェンジ。
意気揚々と引き上げる少女4人と、自チームにとっていい展開であるにも関わらず悪い夢でも見ているかのような
重い足取りでベンチに戻る男子5人の姿が実に対照的なライオンズだった。
特に哲夫の心中の複雑さは計り知れないものがあった。
今さっき間近で目にした、センターからのジェニーの返球。
目にした、と言ってもはっきり言って哲夫の動体視力ではほとんど捉えることのできなかった剛球だった。
外野から投げたにも関わらず、マウンドから自分が投げるよりも速く重い球威で夏美のミットに突き刺さったジェニーの球。
もし彼女がマウンドに立って投球をしたなら、どんな威力を発揮するというのか。
それどころか、今のようにセンターから投じられたジェニーの球を、
もし自分がバッターボックスに立っていたら打ち返すことができたのだろうか。
そしてそれを目も逸らさず平然とキャッチし、後ずさりも痛いそぶりも見せなかった夏美。
自分たちの今までの常識の範囲を大きく逸脱した能力、プレイをまざまざと見せ付ける彼女たちの姿に
引き上げる哲夫の足は自然に震えを帯びていた。

 彼女たちの2度目の打順が回ってくる頃には、相手ピッチャーは相当な逃げ腰となってしまっていた。
彼女たち一人一人に、第1打席であれだけ深い爪痕を残されてしまっては無理のないことなのかもしれないが。
理沙には内野安打からその俊足でいいようにかき回され、
愛、夏美、ジェニーには桁外れのパワーでストレートをピンポン玉のごとく遥か遠くまで持っていかれた。
ここまでその力を見せ付けられれば、自分の球に対する自信を失うなと言うほうが無理な相談だろう。

 要であるエースピッチャーが自信を喪失し崩れていく様子は、いつしかチーム全体の意気消沈へとつながっていく。
攻守が交替すると、今度はドルフィンズの打棒が一様に湿るようになり出した。
淡白な攻撃で易々とライオンズにアウトカウントを稼がれてしまう。
序盤で一気に9点を奪い、コールドまであと1点と迫ったあの勢いは見る影もなくなっていた。
…それはドルフィンズの士気低下によるものだけではなく、もう一つの要因があった。
哲夫の立ち直りだ。
理沙のスピードを生かした堅実な守備、愛とジェニーの強肩、
そして夏美の決して後ろに逸らさない堅実なキャッチングと、盗塁を全く許さない豪腕の送球。
情けない話だが、今まで正捕手だった太郎には到底望めない領域のものだった。
そんな、4人の少女のハイレベルな守備力が、男子9人で組んでいた野手陣とは比べ物にならないほどの
テンポの良さでアウトを積み重ねて相手の攻撃を終わらせていくことが、
哲夫にペースの面でいい影響をもたらし、彼のピッチングに切れを取り戻させたのである。
新加入した女子4人の力は、見えないところでも大きくライオンズを動かしていた。
(ふふっ、狙い通りだったわ。哲夫君も夏美ちゃんたちに引っ張られて力を出し切れてる)
 その様子を見守る瑠美子が目を細めた。

 …完全に浮き足立ってしまった、東町ドルフィンズ。
こうなるともう歯止めが利かず、それまで抑え込んでいたライオンズの弱小男子たちにも少しずつ被安打を喫するようになる。
女子4人に打ち込まれても、その間に控える非力な男子5人をしっかり打ち取れば失点は最小限で食い止められるはずだが、
もうそんなことを冷静に考えられるほどの状態ではなくなってしまったのだ。
スピードと切れのなくなってしまったボールは男たちのバットにも拾われて、
ランナーの溜まってしまったところで迎えた愛、夏美の猛打がそれを一掃、
さらにジェニーのハリケーンのようなスイングが場外にボールを消し去ってダメ押し…
とんでもない悪循環にはまってしまったドルフィンズ。


 9回の表を終わり、点差は18-9。
コールド負け一歩手前まで追い込まれたライオンズが、奇跡と言うべき大逆転で勝利に近づいていた。
しかもこれだけの大量点をはじき出した試合など、南町ライオンズ史上前例のない珍事だった。
加えてこの点数のほぼ全てが、今年になって始めて加入した女子メンバーの打点であるのだから…

 そして最後の守備機会で、スタミナを使い果たした哲夫に代わるリリーフとして
ついに愛がマウンドへと上がった。
これまで攻守にわたり、ライオンズの女子4人衆の圧倒的な力をイヤと言うほど見せ付けられてきたドルフィンズナインは
もはやその様子にも誰一人として野次を飛ばすものなどいなかった。
ただ、戦々恐々とするばかりで。

 スタミナが有り余っている様子で元気いっぱいの愛は、最初から全開の剛速球を叩き込み続けた。
哲夫の投げる球の速度に目が慣れてしまっていたドルフィンズの面々に、長身から投げ下ろす愛のストレートは
あまりに重過ぎる荷だった。
目で追えない球が夏美のミットに爆音を伴って突き刺さり、ストライクのカウントがかさんでいくたびに
男たちの足は無意識のうちにバッターボックスの外側へ外側へと逃げていってしまう。
手元でさらに伸びる様が男のわずかな戦意をも奪い、見逃し三振。
続く打者も、最初の打者のリプレイを見ているかのようにあっさりと2ストライクまで追い込まれる。
ここで夏美がちょっとした悪戯心を出し、1球だけストライクゾーンから外れた内角高めへと要求。
 ズドオォォッ!!
 その通りに投げ込まれた愛の速球が、バッターの少年の顔面やや近くをかすめてミットに叩き込まれた。
目にも止まらぬ速さで目前を通過したストレートとその風圧、そして耳元で響いたミットへの炸裂音に
彼は悲鳴すらあげることもできず、恐怖に固まって足をガタガタと震わせるだけだった。
「どうしたの?女の子になめられてるわよ。しっかりしてね、腰抜けさん♪」
 夏美の侮辱たっぷりの台詞を浴びせられても、彼は何も言い返すことすらできないまま見逃し三振。
ただ涙目で硬直しているだけだった。

 その様子をベンチで見ていた哲夫は、あることに気が付いてハッとした。
愛のコントロールが、格段に向上していることに。
これまで愛は、球は驚くほど速かったが細かいコントロールにかけてはやはりまだ素人の域だった。
今までも、もう少しで当たってしまうようなコースに行って相手の男を泣かしてしまうようなこともあったが
それは真ん中をめがけて投げて外れた結果によるものであり、狙ってできたことではない。
しかし今はどうだ。
夏美が要求したコースどおりに、きちんと投じられているではないか。
それも狙いすぎて置きに行くような、球速を落とす様子もなく。
やはり連日続けている、あの長距離の走り込みによって下半身が鍛えられたことによる効果だと言うのか。
単に力が強いだけではない、全体的なレベルアップを、愛は果たしている―――。
そのことを悟って、哲夫はさらに危機感を募らせ始めた。

 プレイ中のさりげない男子いじめに楽しさでも見出したのか、夏美は続くバッターに
初球から2球続けて愛に内角攻めを求めた。
 ズバァン!!
 ズバァァン!!
「ひっ、ぁっ、ぁぁぁ……」
 当然2球ともボールだが、構う様子はなかった。
全身に鳥肌を立て、今にもバットを落としてしまいそうに震え上がる男を見上げて吹き出す夏美。
「んふふ、怖いの?女の子が。どうしたの、その屁っぴり腰?笑っちゃうじゃない。
女の子に対して軽い口叩いたりするからこういう目に遭うわけ。いいお勉強になったでしょ」
 彼が恐怖のあまり、バッターボックスの最も外側で棒立ち状態から動けないのを確認すると、
夏美は愛にど真ん中への投球を指示して、労せず2ストライクまで追い込む。
グラウンドの外で見届けているギャラリーの女の子たちからは、笑い声が響いている。
「ほら、みんなもおかしいんだってさ。男のくせに女の子のボールにビビってバットも振れないって、ね」
 …これはもう、公開羞恥刑の様相だった。
しかし、彼が内側に歩を進められる様子はない。辱められながらも、それを力で跳ね返せない屈辱…
「くすくす、これに懲りずにがんばってね、男の子♪」
 ズバァン!
「ストライク!バッターアウト!」
 じっくりといたぶってから、夏美は愛に止めを刺させて終わらせた。
主審の声が響き、夏美が立ち去ってから最後のバッターとなった彼はその場で膝から崩れ落ち、
震えの止まらないまま無言で泣き崩れた……


 試合終了。
主審を挟んで両軍が挨拶する中で、ドルフィンズの少年たちは一人残らず正面を向くことはできなかった。
帽子のつばに隠れてはっきりとは見えなかったものの、生き恥に耐えかねて全員今にも泣き出しそうな雰囲気が…
哲夫には、それが十分にわかった。
対戦相手をそんな気持ちにさせれば、本来ならとても痛快な気分となるところだが、
(普段なら自分たちばかりがそんな目に遭わされてばかりなので、余計に)
今回の勝利は自分たちの力でもたらされたものではないので思いは複雑だった。
この白星はこの間入ったばかりの女子メンバー4人の力によるものであり、自分たちはただその流れに乗っただけに過ぎない。

 その表情を見られないように一様に俯き、肩を震わせながら去っていくドルフィンズ一同を目にしながら、
哲夫は勝利を喜ぶどころか、どこか身につまされる思いで同情の念さえ抱いていたのだった。
…自分たちは一足先に、彼らと同じ屈辱を痛いほど刻み込まれて、その思いを人一倍強く知っているから。

「哲夫君」
 待ち受けていた瑠美子が語りかけた。
「もうちょっと嬉しそうな顔をしたっていいじゃない。今日の勝ちは君の力によるものよ」
「で、でも…」
「君があのあと失点を食い止めて、立ち直ったからこそその後の反撃がなし得たんだから。
試合の流れを作れたこと、それは立派に君のピッチングの能力がさせたと誇れることよ。よくやってくれたわ」
 哲夫の心の中を見透かしてしまっているかのような、瑠美子のねぎらいの言葉だった。
「そうよ。よくがんばってくれたね、哲夫君。やればできるじゃない」
 キャッチャーのプロテクターを外しながら、夏美もその意見に賛同し哲夫の肩をポンと叩いた。
「今日の哲夫君のピッチング、きっと愛ちゃんもよく見ていたと思うわ。
ただ速球に頼るだけじゃいつかは打たれちゃうしね。勝負に必要な駆け引きって言うか、
そういうのをきっと哲夫君から学ぶところはあったはずよ。
まだその点では哲夫君、エース争いでは負けてないわね。これからもしっかりね」

 瑠美子と夏美にかけられたそんな言葉が、哲夫の心中をますます複雑に絡ませてしまった。
本当に自分の実力を素晴らしいと思った賞賛だったのか、
それとも女子4人に飲み込まれてしまった男子キャプテンに対する気休め、慰めに過ぎないものだったのか。
自分たち男子一同と新人女子たちとの力の差をまざまざと見せ付けられた試合だっただけに
こうして褒められたりすると、却って嫌味っぽいものを感じてしまう哲夫だった。
…そんな兄の思いをよそに、投打にわたって溢れるほどのパワーで男たちのプライドを粉砕してしまった妹は
試合を見に着ていた同級生と思しき女の子の友達数人とハイタッチを交わしながら無邪気に喜びを分かち合っていた。
「…」
 それを見て、哲夫は何も言えなかった。
あんな喜びようだけ見ていると、大きい以外は普通と何も変わらない小学4年生なのに…
しかしひとたび試合となると、マウンドでもバッターボックスでも、相手の男の戦意を一発で消し去ってしまうほどの
とてつもない力を発揮する、恐ろしい選手…
なんで、なぜなんだ、妹のはずなのに…なぜここまでの差が……

 ガバッ!
「!?」
 愛を見つめながら物思いに耽っていた哲夫の視界が、突如として柔らかい感触とともに闇に包まれた。
「Yeah!!ワタシタチノ、ダイギャクテンショウリネ!!テツオ、ナイスピッチング!!」
「む…むご!!ふ、むむぉおおおお!?」

 視界を奪ったのは、ジェニーだった。
彼女も今日の勝利の立役者を哲夫と認めたのか、それとも単に哲夫が近くにいただけで抱きつくなら誰でも良かったのか、
無頓着にもボタンが外れて大きくさらけ出されている胸元もそのままに、その大きく突き出された胸に哲夫を抱きしめて
踊りでも踊るかのように喜びを爆発させた。
オープンな性格と言うか、天然ボケと言うか、その喜びようは下級生の愛とそれほど変わらない。
「ん、む…むぅ……んんん―――っ!!」
 巨大なフルーツ2つの間で鼻も口も、呼吸器官を完全に塞がれた哲夫は、真っ暗闇の中で必死にその抱きしめる太い腕を
手で叩き、参ったの合図を送り続ける。離してもらわなければ全く息ができない。
地面から離れた両足が、バタバタと暴れている。
しかし、それが危機を伝えるアピールであることを知らないのか、ジェニーは全然その腕を放す様子もなく
てっきり哲夫も一緒に喜んでいると思い込んだまま、無邪気に飛び跳ねている。
「ワタシ、コンドハ、テツオト、ショウブシタイデス!オモイッキリ、タタカイマショウ!」
「………」
 早くも次の戦いに向けてわくわくしているのか、ジェニーの太い腕に知らず知らずの間に、ますます力がこもる。
哲夫が自分の胸の中で、既に窒息して意識を失っていることも知らないで…


 9人のうち、4人もの女子が混じる異色のチームが男子ばかり9人のチームを大差で撃破する…
男のスポーツと根強く残っていた野球に対するイメージが、観戦していた周りの女の子たちの間で急激に破壊されていった。
その衝撃が、その後さらに大きな波をライオンズ内に引き起こすことを、
哲夫たち男子一同はこの時点ではまだ知る由もなかった……


つづく