妹のマウンド 第8話

女傑たちの打撃練習

 哲夫たちの住む町から電車の駅にして3つ分ほど離れた、ある市街地。
ここに県全体で有名な場所となった、バッティングセンターがある。
その中の名物であるレーンに、男3人が集まっていた。
打席に立っている1人と、ドアの後ろからその様子を見ている2人。
白い野球ユニフォームの上から濃紺のジャンパーを着込んだ、全員が同じ格好だ。
そのジャンパーの胸には『高』の字が確認できる校章、背中には『MINAMI』とある。
ここからやや離れた場所にある、N南高校の野球部員たちだ。

 ズバーン!!

 打席に立っていた男はバットを出すこともできず、それどころか思わずのけぞってボールから距離を置く。
それが、この男の最後の持ち球だった。手も足も出せずに終了してしまった。
「お前、20球ただ見てただけかよ。だせー」
「うるせえ、お前だってちょっと、バントみたいに出しただけでほとんど何もしなかっただろ」
「ありえねーよ、この球…」
 彼らが挑んで何もできず返り討ちにされたこのレーン、これがこのバッティングセンターの名物、
160km/hバッティングマシンだ。
『君もメジャーに挑戦!』と書かれた看板に紹介されているこのマシンは、
先日とあるバラエティ番組に取り上げられてから一気に火が付き、
今では県内全体、熱心な客だと県外からも挑戦にやってくるなど一躍人気スポットとなった。
たった今挑戦していたこの高校生3人組も、当然野球の腕に覚えがあるため自信を持ってここにやってきたのだったが…
3人とも、あえなく玉砕した。及び腰で、バットを少し出せたという程度で。
最後の順番だった最も小柄な男は、バットをほとんど動かすことさえないまま持ち球の全てを終了させてしまったほどだ。
「こんな球、打てる奴なんているのかよ」
「無理だろ、メジャーレベルってんだから…」
 自分たちと遥かに異なる領域のスピードボールに圧倒され、帰るかもう一度やるか迷っている男たちの横を
2つの大きな人影がすり抜け、例のマシンがあるレーンに近づいて行った。

「ここよ、愛。一度、ここでバッティングの基礎を学んでもらおうと思ってね」
「わぁ〜、ほんと、この前テレビでやってたとこだ!」
 その2人とは、牛尾夏美と下田愛だった。
このバッティングセンターが有名になる以前から、ここに通って練習を続けていた夏美が
いい機会と思って、チームの下級生である愛を連れてきたのだった。

「なんだ…?」
「おいおい、あんなのがやろうってのかよ…」
 住んでいる地域も違い、彼女たちのことなど知るはずもない男子高校生3人組は、彼女たちを
ただ有名スポットに怖いもの見たさで遊びに来た『ニワカ』だと冷ややかな目を向けた…
…その一方で、冷ややかではありつつも、ついつい見入ってしまうその体。
パーカーにデニムのミニスカート、ハイソックスにスニーカー姿である愛の長身は
3人組の中で最も背の高い男よりやや低い程度。
その男本人の視点から見れば、ほとんど自分と変わらない高さに見えた。
最も背の低い、160cmの男からは見上げなければならない存在。
そして、体型が分かりにくい大きさであるはずのパーカーの上からでも、その存在感を誇示するような膨らみを見せるバスト。
彼らの通う高校でも、ここまでの迫力を見せる女子生徒はなかなかいない。
「…」
 3人とも口には出さなかったが、同じことを思って生唾を飲み込んでいた。
性欲の最も盛んな年頃の男たちだから、当然のことではあった。
その背の高さに男としてややコンプレックスを抱かされながらも、たまらない体つきをしている。
「マジでやるつもりらしいぜ…」
「無理に決まってんだろ」
 彼らは仲間同士で表面上それだけ言いつつ、そのレーンに入っていく愛の後姿、
分厚い素材のスカートでもパンパンに張りつめている迫力のヒップに視線を集中させていた。
だがその中の1人は、妙な違和感も感じ取っていた。
いい体をしている女だが…妙に顔立ちが幼いと。

 愛が打席に立つと、マシンの脇からボールがレールを伝って転がり、マシンのアームにセットされる。
アームが振り下ろされ、第1球が投じられた。

 ズバン!!

 空気を切り裂く音とともに、愛の後ろにある緩衝剤にボールが叩き込まれ派手な音を立てた。
手を出すどころではない、彼女のとってまさに未知の領域である超スピードのボールだった。
残像がまっすぐな長い糸を引くようにも見えた速さと、後方から発生した大きな音に驚き
愛は入口の向こうで見ている夏美のほうを振り向いて、びっくりした笑顔を見せた。
それに対して夏美は特に何かを応えるようなことはせず、すぐに次の球が来るからしっかりしなさいという調子で
小さく指をさし、愛にマシンのほうを向かせた。

 マウンドに立てば男子高校野球顔負けの剛速球を投じる愛だが、打席でそのレベルの球を相手にした経験はない。
リトルリーグの中で、そんな球を投げられるのは自分しかいないので当然のことではあるが。
ましてや今対しているのは、プロ野球でも史上数人しか確認されていないほどの球速、160km/h。
2球目も、見逃してしまう。
「えー?はやーい」
 少し困ったような、しかしそれ以上に楽しんでいる表情で再びバットを握り直す愛。
「ほら見ろ、やっぱり手なんか出せるわけねー」
「テレビで見て、ちょっと生で見に来たような奴らだろ、女にはよくいるんだ、この手のが」
「打てるわけねーんだから早く終わらせろよ、また俺らがやるんだから」
 軽い口を叩き続ける男たちの声は、近くで見ている夏美の耳にも入っている。
こんな身の程知らずの男が勝手なことをいうのが許せないタイプの、夏美に。
しかし今の彼女は特に気に掛ける様子もなく、愛の打席に注目し続けている。

 ズバン!

「!」
「あ、あいつ…」
 愛は3球目にして、早くもバットを出した。
しかし、大きく振り遅れていた。ボールが後ろで大きな音を立ててからバットを振っているようなものだった。
その一方で、冷やかして見ていた男3人組の目が変わった。
さっきまで手も足も出ず、20球全て見送っていた最後の男にしてみれば屈辱だった。
あの女は…始まってすぐの3球目でもう打つ気になり、手を出していったのだ。
「愛、もっとボールをよく見て!」
 後ろで見守る夏美から指導の声が入る。
「うん!…よーし」
 続いて、マシンがゆっくりとアームを振り上げてボールを乗せ、一気に発射する。4球目。

 ガン!

「!!」
 男たちは目を疑った。…当てた!?
自分たちが3人とも、かすることさえできなかったあの160km/hを!

 …当てることには当てたものの、贔屓目に見てもヒット性の当たりではなかった。
ボールはバットの真下に力なく落ちただけ。愛も初めて味わう重くて硬い感触に軽く顔をしかめていた。
当然だろう。硬球を打ったのは生まれて初めて、しかもこの速さの。
金属バットの表面もまだ痺れるように震えている。
「いったーい……でも、当てたもんね!」
 再び表情を引き締め、すぐにバッティングの体勢に入る愛。
続いて、第5球。

 ガッ!
 ガシャーン!!

「わっ!!」
 男たちは、ドアの窓部分から半ば転ぶようにして逃げ、身を屈めていた。
愛のスイングはボールの下あたりを叩き、ボールはファウルチップとなって真後ろに飛んだ。
それが、彼らや夏美が見ている窓との間にある、保護用の金網に直撃したのだった。
「あ、危ねーなあのバカ!どこ狙ってんだよ下手クソが」
「下手?まともにバットも出せなかったくせしてよく言えるね」
「何…?(こ、こいつ!)」
 男子高校生一同は夏美のほうを見てから目を見張る。
愛のバッティングを見ていた4人のうちで、彼女だけその場から動いていなかった。
あの猛スピードで飛んできたファウルボールから、逃げずに立って見続けていたのだ。
「あいつ、あれでビビらなかったってのか…」
「そんなわけねえだろ、あまりに怖くて動けなかっただけに決まってる」
「とっさに反応できない運動音痴なんだろ、鈍そうな女だし」
 男たちは小声で囁きあって、自分たちに都合のいいような解釈をしていた。
その頃、バッターボックスの愛は第6球を迎え撃っていた。

 バキン!!

 ボールをとらえて正面には返せたものの、実戦で言えばボテボテのピッチャーゴロ。
…とはいえ、球数を重ねるたび確実にその結果は上向いてきていた。
愛の目が、そのスピードに慣れてきたのだった。

 ガン!
 ガツッ!
 ガキン!!

 その後も3球続けて凡打の当たり。
「ふん、やっぱり無理なんだよ、女が打とうなんてよ」
「ちょっと背が高いだけの巨乳ちゃんだろ、いかにも野球なんて知らなそうだもんな」
 好きなことを言っている男たちに、横で同じく見ている夏美は少し彼らを横目で見やりつつも、あえて言い返すようなことはしなかった。
口で争うまでもなく、彼らが焦りをごまかそうと仲間内で励ましあうように虚勢を張っている様子が、声の感じから既に分かっていたのだ。
失敗するのが分かっているという口ぶりの中に、お願いだから成功しないでほしいと願う弱気な心が潜んでいることが、夏美には読めていた。
事実、内野ゴロに過ぎない当たりを続ける愛のバッティングだが、その打球は1球ごとに鋭さを増していて、
今打った8球目などは、下手な野手なら捕り損ねていたであろうスピードで弾んでいったゴロだった。
ダメだダメだと憎まれ口を叩いている彼らの口調も、1球ごとにその語尾が怯えを含んだ震えたものになっていくのを夏美の耳は聞き逃していない。
(フフ、弱っちぃ男たちが慰め合ってるのね。いいチームワークだわ)
 夏美はおかしさをこらえながら、愛の打席を見守っていた。

『女がこのコースに挑戦すること自体間違ってる。怖くてバットも出せないに違いない』
 ↓
『振ったってバットに当てられるわけがない』
 ↓
『ヒット性の当たりなんか出せないに決まってる』
 愛がバッターボックスに入ってからこれまで、男たちは心の中で都合よくハードルを上げ、必死に自らの優位性を保とうとしていた。
それはあたかも、崖っぷちに取り残されて、崩れる足場から逃げてじわじわと足の踏み場を失い追い詰められていくかのように。
しかし、実際は彼らは愛にとっくに追い抜かれているのだ。バットを出してボールに当てている、この時点で。

 カンッッ!!
「!!」

 今までになかった、快音と呼べる金属音が響いた。
ボールは勢いよく、その速球を投じるマシンの上を飛び、防護ネットを揺らした。
実戦で考えても、ピッチャーが全力でジャンプしたってあの打球には届かなかったはずだ。
9球目にして、愛は160km/hのストレートをヒットにしたのだった。

「よ〜し」
 体が温まってきたのか、愛は着ているパーカーの袖をまくり、より気合を入れて次のボールを待つ。
(こ、こいつ…!)
(何者なんだよ、この女…!?)
 愛のむき出しになった腕を目の当たりにして、男たちはたじろぐ。
長袖の上からではわからなかった、大きな力瘤が浮かぶ彼女の豪腕。
普段リトルリーグで男の子たちを縮こまらせる豪速球を投げ込み、
打席に立てば軟球を軽々とグラウンドの高いフェンスも飛び越してはるか遠くまで飛んで行かせる怪童・愛。
チームに参加した初日からそんな調子だった愛が、瑠美子や夏美の考案したユニークかつ実効性のあるトレーニングで
さらにパワーアップを果たし、ここまでの逞しさにまで成長を遂げていた。
すぐ近くで見ている男たちなど、及ぶべくもなかった。
野球どころか、もし喧嘩になったら…と、彼らの心には屈辱だけでなく、恐れまで芽生え始めていた。

 カァン!
 ズボッ!

 男たちの心まで打ち砕くかのような音が轟いた。
今度は低めにまっすぐ打ち返し、ピッチャー返しと言える当たりとなってマシンを保護するネットに深々と突き刺さり、
一呼吸おいてからゆっくりとボールがこぼれ落ちた。
その打球の速さに、戦慄を覚える男たち。
自分たちが高校の野球部としての試合で、同じ高校生の球を打ったとしてもあれほどの速さの当たりを出せているのかどうか。

 バキン!

 次の球はやや詰まったものの、実戦なら内野手を飛び越えて外野にポトリと落ちるであろう高さと飛距離があった。
160km/hの球に対して、ヒット性の当たりを安定して生み出すようになってきた愛。
もうこの頃には、愛は足でリズムをとり、次の球を待ち構える余裕まで持っていた。

 カーン!!

 15球目からは、ボールはレフト方向へと弾き返されていく。
右打席に立つ愛が、その力で引っ張るようにして打ち返している。もはや、この剛球に力負けしていない証拠だ。
そしてラストの20球目が、おそらく外野の頭さえ越える高さで飛び、ネットの網目に引っかかって落ちずに止まった。

「あぁー…痛かったぁ」
 手をプルプルと振りながら、愛がドアを開いてロビーに戻ってきた。
「どうだった?苦労したでしょ、いつもの試合とレベルの違う球」
「うん、あんまり飛ばなかった」
「そうね。でも、途中から慣れてきて、いいバッティングしてたわ。
これが楽に打てるようになってくれば、試合でももっといい結果が出るはずよ」
「うん!がんばって、次はホームラン打つよ!」

(試合…?)
(こいつら何言ってんだ?野球やってんのか)
 自分たちが全く敵うことのなかったバッティングマシンを攻略して見せた大女と、それに格上のようなアドバイスを送る
一見太めの女を見つめながら、口をパクパクさせるだけの男たち。
(楽に打てるようになれば、だと…?
こっちの小さいほうの奴は、まだ上なのか……!?)
 小さいほうのとは言っても、そう思った小柄な男から見れば162cmの夏美はまだ大きな女だった。
さらに夏美は、自分の順番だからと上着を脱いで動きやすいTシャツ姿となる。
(!!)
 男たちは思い知らされる。太い体つきだったのは、肥満なのではなかった。
鍛えられて厚みのある、筋肉太りの体だったことが、薄着になって初めて理解できた。
肩周りから腕の、張りつめて盛り上がった太さは、さっき見せられた愛のものを凌いでいる。
男の、特にスポーツマンとして女への自慢になる部分が、知らない女にあっけなく飛び越えられている恥ずかしさ…
彼らはとても、この夏美や愛の前で上着を脱ぎ捨てて自らの肉体を晒すことなど考えられなかった。
またもし、彼女たちと力勝負、腕相撲や手四つなどに臨まなければならない事態になったら…
軽く捻り潰される予感に、背筋が震えてしまう。

 バッターボックスに向かう夏美が、持参したスポーツバッグから自分用のバットを取り出す。
(も…木製だぁ!?)
 彼女は当たり前のように、そのマイバットを握って打席に入る。
グリップも、芯の部分も表面がすり減って塗料の色が落ちている。かなり使いこまれたバットであることは誰の目にもわかった。
「夏美さんはね、練習じゃいつもあの木のバットを使うんだよ。
芯にしっかり当てないと飛ばないから、ほんとのバッティングの勉強には一番なんだって」
 驚きを隠せないままの男たちに、愛は説明をしてあげた。
「いつもの練習じゃよく見るけど、ここでも使うんだね。
あんな速いの打って、折れなきゃいいけど」
 愛は窓ガラスに貼り付くようにして、夏美があのモンスターマシンとどんな勝負をするのか、興味津々で見つめる。

 パカン!

 夏美は初球から、いい当たりを放った。
夏美の立つ打席とは逆方向に、転がるというよりは走っていくと表現したほうが正しいほど速い打球だった。
この速さから、振り遅れたわけではないことがわかる。狙った上での、流し打ちだった。
「しょ、初球から…」
「当たり前みたいに打ちやがった。どんな奴なんだ、こいつ…」
 見た目で圧倒された後、その実力にもさらされてどよめく男たち。
しかし、その衝撃はそんなものでは済まされなかった。

 カーン!

 金属バットとは異なる乾いた快音がセンター全体に奏でられる。
速い弾道で高々と上がった打球は、この施設から外にボールが飛んで行かないように張られている防護ネットを揺らし、
さっき愛がネットに引っかけた最後のボールを下に落とした。
実際に野球場で試合をしたとすれば、外野フェンスに直撃する大当たりだったはずだ。
バッティングマシンと、本物の投手が投げる球には違いがあって単純に比較はできないにしても、
今こうして、彼女は160km/hのボールを最初から連続でヒットにしているのだ。
男たちの狼狽は、傍目から見て滑稽なほど大きな動きとなって表れていた。

 3球目はまっすぐ飛んだピッチャー返し。
サッカー漫画で、強烈なシュートによりゴールネットがピンと張ってしまう描写があるが
今の夏美の打球はそれを現実に再現したとも言える。
マシンにボールが直撃し、壊してしまう恐れさえあった。
夏美より小さな高校生の男は、暑い季節でもないのに汗にまみれている。
野球部における彼のポジションは内野。もしあんな速さの打球が飛んできたとしたら、捕球できるのだろうか…と。
さっきの大きな女の打球の速さにもプライドを傷つけられたが、今の女のそれはプライドどころの話ではない。
離れた場所で見ているのに、恐怖を感じさせられる。
それを生み出す夏美のスイングスピードも桁違いのものだった。
まだ技術の上では未熟で、力任せに大振りしている愛のスイングとは違う。
体の回転を含め全身を使ったフォームで、さらに無駄のないコンパクトな振り方だ。
加えて常に木製バットで練習していることから、どこを狙って打てば飛ぶかが体に染み付いている。
そのバッティング技術に、この厚みのある肉体から生み出されるパワーが加わると…こうなる。

 カーン!!

 男たちは一瞬、ボールがどこに行ったのか見失ってしまった。
その直後、この施設に据え付けられているスピーカーから呑気なファンファーレが鳴り響いた。
『おめでとうございます!ホームランです!』
 数秒後、異様に高い位置からネットを伝ってボールがゆっくりと転がり落ちてきた。
このバッティングセンターでは防護ネットの、ある高さから上の部分は別の色に塗り分けられており
そこにボールを届かせることができればホームランとして扱われるのだった。

「わぁー!!夏美さんすっごぉい!!ホームランだって!!
ねぇみんな見た!?見た!?」
 愛はドアの前で繰り返し飛び跳ねながら大喜びした後、3人組のところにまで近づいて
無邪気に興奮しながらはしゃぐ。
飛び跳ねるたびに、愛のパーカーを押し上げる柔らかいバストが男たちの眼前で大きく弾む。
思わずそれに釘付けになりつつも、やはり今見せつけられたことに3人は打ちのめされていた。

 夏美はその後も1球すら打ち損ねることなく、鋭い当たりを連発してはあちこちの防護ネットに瞬間的なテントを張っていった。
見ている男子高校生たちが、普段どんな守備位置についているかは知ることもないが、
たじろぐばかりの彼らの様子を、まるで背中の目で楽しむかのように。
いつしか他のレーンで遊んでいた人々も手を止めてしまい、160km/hの速球を面白いように弾き返し続ける猛女の姿を見ているだけになっている。
「すごい、あの人…確かあそこ、一番速いとこでしょ?」
「あ、あれ、女の子だぞ…」
「またホームランだ!」
「マジかよ、あんなところに引っかかって止まるなんて見たことねー」
 最後の球もネットの最上部に突き刺してホームランにし、夏美は持ち球全てを終わらせて平然とボックスから出てきた。

「いつもながら凄いバッティングだよ…なっちゃんには敵わないねぇ。
こりゃ180km/hぐらい出るようにしなきゃいけないかね」
 受付のカウンターに向かった夏美に、このバッティングセンターの主人である初老の男性は笑いながら、夏美に何か紙を渡した。
「速いって言っても、球種もコースも同じだから慣れればそう難しいことでもないかな。
おじさん、今度新しくするなら速くするよりも、いろんな球を投げてくるようにしてくれない?そのほうが練習になるから」
「そうだねぇ、考えとこうか」

 戻ってきた夏美が手にしているのは、次回のプレイ無料券。
このバッティングセンターは、ホームランを打てばそのレーンが次の1回無料で遊べるシステムをとっている。
夏美が前の小学校にいて、その校区のソフトボールクラブに所属していた2年前からここに通っている常連の夏美は、
1年前からホームランを連発するようになり、自費でこのバッティングセンターでプレイすることは少なくなっていた。
練習の成果もあり、その猛打は今年から新設されたこの160km/hのレーンでも食い止められることはなかった。
もちろん今日のように、いつも使っている木製のマイバットで、だ。
そんな夏美にしてみれば、『テレビに影響されて怖いもの見たさで遊びに来たヌルい一見さん』なのは、
彼女たちをそんな目で見ていた高校生の男たちのほうだったのだ。

「わー、ただでできるんだ。いいなーそれ」
「これが欲しかったら、ホームラン打たなきゃね。愛なら、きっとできるはずよ」
「うん!あたし、絶対打つから!練習して、芯に当てて飛ぶようにするもん」
 彼女たちが帰って行って入口のドアを閉め、その姿が見えなくなったのを確認してから、
男たちはもう一度、その160km/hに挑んでいった。
あの女たちが簡単に打てて…高校の野球部である俺たちが打てないわけがない!
きっと、想像以上に楽に打てるようなものなのに決まってる!と。

 だが…そんなはずがなかった。
当てて遠くに飛ばす以前に、バットが当てられない。出せない。
ストレートのみ同じコースに投げ続けられるものだから、立っている分には何も危険はなく怖がる必要はないのだが、
もし下手な当て方をして、あの勢いそのままの自打球となってぶつかることを考えると…手が出ようとしない。
見逃した速球が後ろでクッションに衝突する、鋭く太い音にも身が縮んでしまう。…打撃技術や力以前に、あの女の子たちとは、気力が違うのだ。
そんな惨めな姿は、地元の町へと帰ろうとして施設の脇道を通過する愛や夏美にしっかり見られてしまっていた。
「夏美さん、あの人たちもがんばってるみたいだよ」
「そうね、うまくなってくれるといいわね(あれでは無理ね。腰が引けちゃってる)」
 笑いが漏れてしまいそうな夏美に遠い横目で見られているとも知らず、男子高校生は機械に弄ばれるように
まったく間に合っていないタイミングでの弱々しいスイングを繰り返し、手が出せているだけで前進と無理やりな自己弁護をしているところだった。
彼らを野球部員としての屈辱の底なし沼に引き込んだようなあの女傑2人が、
実は遠く離れて名前も知らない小学校に通う6年生と4年生などとは知ることもないまま。


 つづく