妹のマウンド 第9話

もう一つの敗北

 南町ライオンズに1人、万年補欠の最上級生がいる。
哲夫や太郎とは別のクラスにいる6年生の、末光暁。
練習がある日は必ず顔を出している真面目な部員なのだが、実戦でいい結果が出せずレギュラーは取れないでいる。
とにかくバッティングが悪く、4年生からこのチームに入って3年近く頑張っているものの
これまでに試合でヒットを打ったことは一度もない。
後から入った同学年の部員、それに下級生にも抜かれていき定位置を取られ、今では補欠の補欠という扱いだ。
時々練習をさぼる不真面目な部員にも後れを取る彼を、哲夫は明らかに見下していた。
毎日練習には出てきて真面目にやっていることはもちろん知っている。しかしそれだけだと。
結果が出ない、チームにとって力になれないのなら練習を頑張っているから何だと言うのかと。
それはつまり練習の仕方が悪い、要するにやる気がない、または才能がないんだと思っている。
チーム内でそう思われている中、いつもそんな暁は不満ひとつ口にせず練習に打ち込んでいる。
そんな姿勢が、一部の遊び半分でやっている5〜6年生部員には嫌味っぽく不愉快な存在と受け取られていた。
必死こいて練習してその程度ならやめろ、ダセェといった陰口が彼のいないところでは渦巻いている。

 しかしここ数日、愛や夏美がその暁に長い時間構っているのが哲夫にはやけに目についた。
暁がバッティング練習をしていると、その脇でボールをトスして付き合ってあげているのが愛、
またその近くで声をかけながら見守り、時折彼の体に手を添えてフォームの調整をしてあげているのが夏美。
「お前ら、自分の練習もしないで何やってんだよ。速い球が投げられるから余裕なんて調子乗ってんのか?」
「これも、練習の一つよ。チームの中心メンバーなら、チーム全体に目が行くようでなくちゃ」
 哲夫の問いかけに、夏美は当然の行為であるように答えた。
「暁君、毎日頑張ってるんだもん。レギュラー取ってる他の人たちよりも。
ランニングのときだって、誰よりも長く走ってるんだよ。
あたしが入ったときにこの人のそういうとこ見て、あたしも練習頑張らなきゃって思ったんだから」
 愛も続けてそう言う。
普段あまり人と会話するところを見かけない、おとなしい男である暁だが
黙々と真面目に練習を重ねている彼の姿に、愛は野球部員として思い入れを抱いたようだ。
持っている能力や実戦での実績は明らかに愛のほうが上ながら、練習中の姿勢に関して
無口な彼の背中に目標のようなものを見たらしい。
そんな彼に、ぜひ試合でも活躍してほしいと思って応援しているようだ。
そして夏美は、チームの中心選手として全体のレベルアップに繋げようと思ってのサポートをしているようだ。
彼女たちが自分の練習時間を割いていることは別にどうでもいいと思うものの、
格下として見ている同学年の男に妹が敬意をもって親しくしている姿はやはり気に入らないものがあった。
「哲夫君、かわいい妹さんを取られそうで嫉妬してんの?」
 後ろから、からかいの気持ちをたっぷり含んだ口調とともに、いつからかそこにいた理沙が肩に手を置いてくる。
「う…うるせえ!」
 理沙の手を振りほどいて、哲夫は足早にその場を去った。
理沙と夏美の笑い声が聞こえてきたが、振り返って何か言い返すこともしたくなかった。


 その翌日。哲夫たち南町ライオンズは試合のため相手チームのホームグラウンドにいた。
この日の相手は西町リトル。これまでに幾度も対戦しているが、男子部員のみだった頃のライオンズは敗戦続きだった。
女傑たちを加えた新たなライオンズとなってからは初の対戦となる。
強力な女子部員の力で、今回は一矢報いることができるのか…

 ズバン!
「ストライク、バッターアウト!」
「うっ…」
 西町リトルの打者陣は異次元の豪速球に息を詰まらせる。
向こうにいる大きな女の子がボールをリリースしてくると集中していたら、その次の瞬間には後ろでキャッチャーミットが重い音を立てている。
目がついて行かない彼らは見逃し三振の山を重ねていく。
新たに女子部員を入れた新生南町ライオンズに、対戦したチームが次々と敗れているという話は聞いていた彼らだったが、
ここまでのものとは思いもしなかった。これが同じ小学生の投げる球なのか…
それ以前に、試合開始時に整列した時点で見た目からして圧倒されてはいたのだが。
西町リトルの少年たちは平均的に小さかった。南町ライオンズの男子部員のみと比べても。
小柄で非力な分、走力とテクニック、堅実な守備で勝負するスタイルのチームなのだ。
その前に立ちはだかったのが、パワフルなストレートで技術も何も打ち砕くような、愛。
足でかき乱すにしても、まず塁に出られなければどうしようもない。
ライオンズにしてみれば中央ボーイズ、東町ドルフィンズ戦同様に快勝かと思われたが、今日は様子が違った。

 ベチン…
「アウト!」
「あれ〜?おっかしいなぁ…」
 勢いのないサードへのファウルフライに倒れた愛が、頭をかきながらベンチに戻ってくる。
前の試合であれだけの猛打を見せつけた愛やジェニーのバットから、快音が聞こえてこない。
もちろん、他の男子部員からもだ。かつての中心打者、哲夫も太郎も内野ゴロを繰り返す。
彼らと対する西町リトルのピッチャーは、その校区にいる5年生の久嗣巧。
ストレートの球威では哲夫と同程度かそれ以下、目立って鋭く変化する球も持ち合わせているわけではない。
だが、彼は…コントロールと投球術に人一倍長けていた。
微妙にリズムとボールのスピードを変え、ライオンズの男たちに自分のタイミングを持たせない。
理沙、愛、ジェニーの野球経験がまだ浅い女子3人には、それはより厳しい相手となった。
内角の球を続けて彼女たちの姿勢をやや起こさせたところで外角いっぱいに、またはその逆など、
コーナーと球種を巧妙に使うそのテクニックには、特に力に頼るバッティングが目立つ愛とジェニーは打ち取りやすい相手だった。
経験がありパワーもテクニックも備えている夏美だけはどうにか彼からヒットを放つことができたが、それも長打にはならない。
夏美の前にランナーが出ず、彼女が塁に出ても後が続かないため得点に結びつかず、ライオンズもまたゼロ行進を続けているのだ。
「手ごわいわね…まるでプロのベテランピッチャーみたい」
 瑠美子も腕組みをして、何とか打開する方法を考えているようだがそれがなかなか見出せない。


 両軍合わせてもヒットが極端に少ない投手戦は驚くべきハイペースで進み、もう終盤の7回を迎えていた。
今までライオンズはヒットが夏美の打った2本しかなかったため、この回は3番の愛から打順が始まる。
表情を引き締めて打席に入った愛だったが、あえなく空振りの三振。
これまでスイスイと快調に飛ばしてきた巧はより勢いに乗っており、球の切れがさらに増していた。
以前まで愛が対戦してきた他チームのピッチャーと違い、自分が男で相手が女だからと意地になって力で抑え込もうとしない、
飄々とした感じで投げ込んでいるのが、さらにいい結果をもたらしている。
「すっごいよ、あの人。全然、バットのいいところに当たらないんだもん」
 凡退して帰ってきた愛は、いい結果を出していないのにも関わらず、なんだか興奮した調子でベンチの仲間に話す。
凄い相手と当たったことに楽しさ、喜びを感じているようだ。
成功、失敗よりも野球そのものを満喫している表情であり、それが伝わっているのかベンチ全体も明るい。
以前までのライオンズベンチにはなかった雰囲気だ。
(こいつ…打ってもないのに何浮かれてんだよ。真面目にやってんのか!)
ただ、打順を待っている哲夫だけはそんな妹の態度に不快感をあらわにしていた。
自分が打ってリードしているならともかく、こんな展開で楽しそうにしているのは許せなかった。
しかし、それを口に出して咎めることまではできない。哲夫自身が、打てていないから。

 キンッ!
「やった!夏美さん!」
 ベンチで愛が両手で拳を作って歓声を上げた。4番・夏美がセンター前に転がる当たりを飛ばして塁に出たのだ。
好投手・巧から奪ったようやくの3本目となるヒットはいずれも夏美から生まれたもの。それも、シングルヒットがやっとであり
ここから畳み掛けなければ得点を挙げることはできない。ここからが問題だ。

 ガッ!
 続くジェニーは相変わらずの豪快なスイングを見せるも、巧の術中にはまってバットの根元あたりで引っかけてしまう。
打ち取られた当たりではあるが…ジェニーのパワーが功を奏してそれはワンバウンドしてから高く上がった。
なかなか落ちてこなかった打球を西町リトルの一塁手がようやく捕球した頃には、ランナーの夏美を刺すには間に合わず
一塁ベースを踏んでジェニー1人をアウトにすることだけでもよしとする他はなかった。
2アウトまで追い込まれたが、ライオンズはこの試合で初めてランナーを得点圏にまで進めることができたのだ。
最大のチャンスがやってきた!ここで打順が回るのは、6番に格下げされていた哲夫、だったのだが…
ここで監督・瑠美子が動いた。

「出番よ、末光君」
「はい」
「!?」
 哲夫は耳を疑った。このチャンスでキャプテンである自分に打順が回ってくるところで…
しかも代わりに出るのが、これまで何の結果も出せていない暁だと言うのだから…
驚きと失望のあまり何から口にしていいかわからなくなり、ただ口をパクパクさせながら
瑠美子に詰め寄ろうとした哲夫を制したのは、理沙だった。
「監督は練習してる姿を見て、やってくれそうだって思ったから、暁君を出すんだよ。
少なくとも、今までタイミングが全然合ってないあんたが出るよりよっぽど可能性あるんじゃない」
 彼女のその態度に哲夫は怒りを表情に湛えながらも、的確に言い返せる言葉が出てこない。
お前だってまともに打てていないくせに偉そうなことを言うななどと、小さな子供の喧嘩みたいなことを怒鳴り返したって、
試合中の選手たちの雰囲気が悪くなるだけで何にもならないことはさすがにわかっている。
黙って座るしかなかった哲夫の横を通り過ぎて、暁が打席に向かう。

 セカンドベースからリードを取っている夏美をチラチラと気にしながら、巧はそれでもテンポよく投げ込み
暁を2球で簡単に2ストライクまで追い込む。暁は、打席に入ってから一度もバットを出していない。
「くっ…あのバカ何やってんだ!俺の代わりに出といて、もしこのまま見逃し三振とかだったらボールブチ当てるぞ!」
哲夫は歯軋りしつつその様子を見ているしかない。
「落ち着いてよく見るのよ、末光君!」
 ランナーとして出ている夏美から檄が飛ぶと、
「あれだけ練習したんだもん、絶対打てるよ暁君!」
 愛からも声援が飛ぶ。
こういうことが、哲夫だけが仕切っていた頃にはなかった。

 巧が第3球を投げ入れたところで、暁の目が光った。巧が技巧派の、さほど速球を持ち合わせていない投手であることが
それまであまり打席に立つことのなかった暁には幸いした。
 カキン!
「おおーっ!!」
 ベンチにいるライオンズの男子部員たちから喜びよりも驚きの色が濃い大声が湧き上がった。
もちろんチームメイトである愛にジェニー、理沙からも歓声は上がったが、今回ばかりはそれもかき消されるほどだった。
長くチームにいる6年生で、それまで試合でヒットを放ったことがなかったばかりか試合に出ることも稀だった
補欠の暁から、チームを救う殊勲のタイムリーヒットが生まれた瞬間を目にしたのだから…
暁のバットが跳ね返したボールはセカンドの頭を越え、右中間を破るツーベースヒットとなり
夏美は楽にホームへと生還してきた。
続く7番の太郎は凡退して得点は結局わずか1点にとどまったものの、この試合ではとても重いリードがライオンズにもたらされた。


 そして最終回。ここを抑えればライオンズの勝利となる。
変わらず愛が立つマウンドを前に、左打席に入ってきたのは巧。
これまでに二度、愛のストレートにほとんど手が出せず三振に倒れているが…
疲れを見せる様子もなく全く球威の落ちない剛球が投げ込まれてくる。
キィン!
「!!」
 受けようとした夏美は目を疑い、愛もびっくりした表情を浮かべている。
細身の巧が、愛の重い速球を弾き返したのだ。球の勢いに逆らわない、芸術的な流し打ちだった。
非常にうまい打ち方であり、愛の球速がそのまま打球の勢いとなって三塁線を貫こうとしたが…!
夏美はそこでも驚かされる。代打で出てそのまま哲夫に代わりサードの守備に就いていた暁が、
その火の出るような当たりをキャッチしてすぐさまファーストのジェニーに送り、アウトにしていたのだ。
それまでバッティングに難があり試合出場の機会が与えられなかった暁だが、腐らず練習は欠かさなかったおかげか
守備に関しては一級品のものがあったのだ。
その素晴らしいプレイに愛は右手と、グローブを装着したままの左手で拍手しながら飛び跳ねて喜び、
他の部員たちからも称賛の声が上がってきた。照れくさそうに頭をかく暁。
一方で、ベンチに下げられ傍観するだけの立場となっていた哲夫は下唇を震わせるしかなかった。
見下していた暁の、攻守にわたる活躍…キャプテンである自分の代わりに大事な場面で出て、
ダメだったらただでは済まさないと思っていつつも、いざこうして活躍すると湧いてくる悔しさ…
それに、たった今見せつけられたあの守備。もし自分があのとき代打を送られず、そのままサードについていたら
さっきのヒット性の当たりは捕球できたのかどうか…
また、相手にも目を向ければ西町リトルのあいつのように愛の球を打ち返すことなんかできるのか……
本人にそれを尋ねればムキになって否定するだろうが、彼は今間違いなく抱いている。周りに置いて行かれる恐怖感を!

 その後続く打者2人にはまともなスイングをさせず完璧な三振に切って取った愛。
1-0の僅差で南町ライオンズが西町リトルを下した。
ゲームセットの声がかかると愛は真っ先にサードにいる暁の元に駆け寄り、小さな子供が大きな大人に接するように
抱きついた。体格の差を考えれば、全く役割が逆の行為に見えるのだが…
 ぎゅっ!
「暁君すっごい!!私たち全然打てなかったのに!
それにさっきの守備最高だった!絶対抜かれたと思ったもん!ありがと暁君!!」
 長身の愛が自らのパワーも考慮せずに、小柄な暁を押し潰すように抱き締めている。
相撲のサバ折りのような圧迫感と呼吸困難、胸に押し当てられて柔らかく潰れる巨乳の心地よさが一緒に襲い掛かって
暁は恥ずかしさも相まって赤紫色の顔をしながら愛の背中に降参の合図を送り続けている。
遅れて集まってきた男女の部員たちも今日のヒーロー・暁を祝福した。
チームに一体感が生まれてきたことを表している。
野球は女がやるスポーツじゃないから出て行ってもらいたいとの考えが支配的だった、あの頃には考えられなかったことだ。
愛や夏美たちの力に引っ張られるだけで勝ちを拾ったのではなく、女子の指導を受けた男子の力で勝った今日の試合。
また、相手の好投手・巧の前に凡退を繰り返した愛やジェニー、理沙、
同じく巧にあわや長打となる当たりを打たれた愛の姿を見たことが、彼らの反発心を少しずつ溶かした。
彼女たちも完璧じゃない、自分たちと同じ少年野球の選手なんだと意識を持たせたのだった。


「ありがとうございました!!」
 両チームが整列して挨拶。改めて、ライオンズ女子陣の大きさにおののく西町リトルの部員たち。
日の傾いたグラウンドで、ライオンズ側が太陽を背にして並んだため、
愛やジェニーの正面にいた男子部員はほとんど日陰になってしまう。
挨拶が終わった後、愛は前に出てリトルのエース、巧の両手を自らの両手で握りしめた。
「ほんと、いい試合だった!こんなに打てなかったの初めてだし、あんなうまく打たれたのも初めて!
私ももっと練習して強くなるから、また試合しようね!絶対だよ!!」
 愛のあの豪速球を生み出す、大きく逞しい手が巧の小学生らしい小さな手を力強く掴んで、上下に揺さぶる。
その腕力に小さくうめきながら、哲夫より数cm低い巧は目の前の高くそびえる1学年下の少女を見上げる。
確かに彼女からもう少しでヒットになる当たりは打てたものの、それは彼女の力に対抗できず
力を別の方向に逃がすような技術を用いてできたことだ。さらに言えば、それより前の2打席は
力負けどころか敵前逃亡同然に、バットを出せず三振に倒れていた。
そんな、力で全く敵わない大女は間近で見ると笑顔のかわいい健康的な少女。
その笑顔と視線が合うと思わず照れてしまい視線を下にそらすと、そこにはこっちに向かって大迫力で突き出されている
ブラジャーのラインをくっきりと浮かび上がらせているユニフォームの胸元が待ち構えている。
手を握られたまま巧は真っ赤になって俯いてしまい、それを見た西町リトルの他の部員たちは
ヒューヒューと裏声を上げて囃し立てる。ますます小さくなってしまう巧。

 そんな様子を遠くで見ながら、哲夫は自チームが試合に勝利を収めながらも敗北感に包まれていた。
自分が引っ込められたら急にいい展開になって勝ちが転がり込んできたこと。しかも内心バカにしていた暁の活躍で。
そのダメ部員だったはずの暁の今日の成功は、愛や夏美のサポート、指導があったからなのは間違いない。
キャプテンという身分でありながら自分は、今までそうして下の部員を本番で成功させるように導いてやったことがあるのか。
また、今日の愛のように、勝てていない場面でも明るく声を出してベンチ内にムードを作ることなどできたか。
さらにああして試合後に、対戦相手を認めて健闘を讃えるなどという行動をしたことがあるのか。
味方のみならず、相手チームをもいい気持ちにさせて終わる、スポーツマンシップに乗っ取った行動を
妹は誰に教わるでもなく自然に実践している。
エースの投手としてのみならず、チームをまとめる存在としての器の意味でも、この妹に抜かれていく危機感が背中を這い登った。

 勝利に沸くライオンズ一同の輪が、やけに遠いものに感じられる哲夫だった。


 つづく