まちをきれいに 第4話

 翌週、綾はまた弘樹を連れて街のお片付けへと出向いた。
「放っておけない奴が、また出てきちゃったみたいだからさ。今日も懲らしめちゃうね。
よっく見てて、小寺君」
 この日弘樹は、これまで以上に驚かされることになる。
綾が見せた、さらなる一面に。

 その夜綾が立ちはだかったのは、待ち行く女性のすれ違いざま、または追い抜きざまに刃物で衣服を切り裂く変質者の男だった。
当時この近辺で、被害が続出していた。
加害者の男の行動パターンを密かに探っていた綾に、ついに捕らえられる夜が来たのだ。
塾帰りの小柄な女子中学生を待ち伏せして物陰に潜んでいた、帽子で顔を隠した男。
彼女がそこを歩いて通り過ぎたところで、一気に通りへと躍り出た男がナイフを抜き走り出そうとする。
しかしその背後に、音もなく素早い巨大な影が迫っていた。
 ガッ!
「うっ」
 突然肩を掴まれ、重機か何かに巻き込まれたかのように強大な力で後ろへと引っ張られていく男。
彼の毒牙にかかる予定だった女子中学生は、狙われていたことにも気付かず普通どおり歩いて帰っていく。

「がはっ!!」
 ドダン!!
 街の明かりの届かない、袋小路になった狭い路地に男は投げ飛ばされて全身を強打する。
「これは女として、のさばらせておくわけにはいかないわね。
どうやって、懲らしめてあげちゃおっかな〜」
 街灯も届かない暗がりの路地、夜空の月光も突然立ちはだかった大女の背後に隠れ、男は闇に覆われる。
手をポキポキと鳴らしつつ迫ってくる、アニメのセーラー戦士に扮した、女子格闘家でも見受けられないような逞しき巨体の女。
男は動転するほかなかった。
袖なしセーラー服と超ミニスカートにより克明に伝わる、並の力とは考えられない太さの腕、脚。
後ずさりながら立ち上がれば、自分の背は彼女の胸のリボンあたりまでしかない。
縦も横も、桁が違う。…しかし逃げ道はない。
頼みは…手に持ったナイフのみ!男を意を決した。
「うおーっ!!」

 はっきり言って、綾の敵ではなかった。
弱そうな女ばかりを狙い、加えて不意をついて刃物で襲い掛かるような卑劣な男だ。
戦闘態勢の綾に正面に立たれて、どうにかできるわけがない。
運動神経に欠けキレのない中年男のダッシュなど、綾には捻り潰して欲しがっているようにしか思われない。
「あがっ…」
 案の定男の右手は易々とねじ上げられ、手首に落とされた手刀によりナイフはアスファルトに転がり落ちた。
手から拠り所が失われたと自覚したときには、ナイフは綾によって10m以上蹴り飛ばされていた。
「あ…ぁぁ……」
「切り裂き魔、ね…つまんない真似してくれちゃって。
私もいろんな悪者退治してきたけど、あんたみたいなウジウジしたタイプの犯罪者が一番許せないの。
今日のおしおきは簡単には済ませないから、覚悟しといたほうがいいわよ」
 ギリッ…
「う!!あだだだ…」
 極められた右腕がさらに悲痛に絞られ、男の目に涙が滲む。
少し離れて見守っていた弘樹は安心しきっていた。
前週にカラーギャングの集団を叩きのめした綾だ。相手はたった1人、しかも体格で比べ物にならない貧弱男。
唯一恐れていたナイフも取り上げられ、遠い自分の足元にまで転がってきている。あの状態ではここまで取りには来られまい。
(広田さんには、ちょっと退屈な相手かも…)
 そう呟いた矢先のことだった。

 ジャッ!!
「!!」
 その不意打ちに弘樹も綾も目を疑った。
この切り裂き魔の男…ナイフをもう1本隠し持っていたのだ!
左手で突然振り上げられたバタフライナイフは確かに綾の腹部をかすめ、布地の切り裂かれる音がした。
「……っ!」
 綾のボディにフィットした白レオタードのおなかの部分、グリーンのミニスカートが縦一直線にパックリと切り裂かれ、
胸元のピンクのリボンも一部が切り落とされてはだけてしまっていた。
よく鍛えられて深い溝を刻んだ綾の腹筋がさらけ出される。
刃は綾の皮膚までには至らず、衣服をかすっただけだったようだ。
苦しまぎれに繰り出したナイフとはいえ、この男にとって女の服を切り裂いて辱めるという行為は達成された。
大事なコスチュームを切られて動きの止まってしまった綾の反応に、男の支配欲はより掻き立てられる。
(ナイフにビビってるな…でかいとはいえ所詮女ってことか。素っ裸にしてやる!)
勝手に形勢逆転と踏んだ男の顔が、目深にかぶった野球帽の下で野卑にニヤついた。
ナイフを利き腕である右に持ち替え、急に強気に変わった男。
この歪んだ欲望にまみれた薄汚い中年チビ男の口元が不敵に吊り上がるのが目に入った瞬間、
綾の中で本気の処刑モードのスイッチが入り、手加減という要素が心から消え失せた。

「でやーっ!!」
 優位に立ったと妙な勘違いした男が、このセーラー服の全てを切り裂いてやらんとばかりに正面から綾に切りかかる。
だが気を引き締め直した綾にとって、短い刃物1本持っただけの素人の男など全くの無力だった。
 バシッ。
 この巨体で男の想像を遥かに超える素早さでサイドに回りこんだ綾。
男は避けられたことを自覚する前に、横から手首をキャッチされてしまっていた。
手首を握り潰されてしまいそうな強い握力に悲鳴を漏らし、ナイフはあえなく転がり落ちる。
本当に最後の武器だった。絶望に包まれた顔で見上げた先には…
当初の遊び心を含んだ余裕の少女の顔はなく、憎しみの伝わってくる無表情の綾の視線があった。
至近距離で捕らえられたまま、男は彼女の瞳に宿る強い怒りを感じ取り、これから降りかかる恐怖に身を凍らせた。

 ボゴン!!
 離れた場所に立つ弘樹は驚愕し、両の頬にビリビリとした痺れを感じた。
男の顔面を拳で殴りつけた綾を見るのは初めてだった。
絶えずどこかに余裕とユーモアを感じさせていたこれまでの悪人退治とは明らかに様子が違う。
…本気で、怒っている。
綾がナイフにより怪我をしていないかどうかはどうやら心配ないようだったが、
それよりも気がかりは別のところにあった。あのパワーを持つ綾が怒りに身を任せて、やりすぎてしまったら…

 綾からフック気味のパンチを叩き込まれた男は建築用の鉄骨で殴られたかのように吹き飛び、背中で5m近く滑走して止まった。
大量に噴出した鼻血で既に顔の下半分が赤く染まっている。
 ズドッ!!
「ぶっ…ごぼっ!!ぉごおおお!!」
 そこから息をつかせる暇も与えず、綾のトーキックが横倒しの男の腹部にめり込む。
男の内臓の奥深くから、弘樹の背後にまで轟いた鈍い重低音。もし自分がこんな蹴りをもらったら…死ぬ!弘樹は震えた。
悲鳴の自由すら奪われた呼吸困難の中、男は転げまわって逃げようとする。しかしそんなものは無駄でしかない。
襟首を掴み、無理やり引きずり起こす綾。派手な音を立て、男の衣服が引き破られながら。
 綾は無言で、ただ睨みつける。それが男を、ライオンに獲物として定められた鼠1匹のような心境に追い込む。
昨日まで自分が数多くの女たちにさせてきた思いを、まとめて一度に味わわされるような恐怖。

 ボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォボゴォ!!
「……っ!!」

 そこから始まった地獄に、弘樹は思わず目を背ける。
左手で男の胸倉を掴んで逃がすことのないまま繰り返される、右で握り拳を作っての往復ビンタ。
手加減をする気持ちが少しでも残っていれば、こんな凄惨な刑は下すはずがない。
パンチが男の左頬をえぐり、返す裏拳が右頬を張り倒す。地獄の永久ループ。
あの男よりもっと体格のいい不良少年たちをほぼ一撃で眠らせてきた綾の力、それも手加減抜きで連発だ。
聞こえてくる処刑の音にまともに正視できず、チラチラと見るしかできない弘樹だったが
視界に入れるたび明らかに男の顔の形が違っていた。歪み、腫れあがり、スズメバチの巣のような形に膨れていく。
1発1発拳が叩き込まれていく音が、どんどん聞くに堪えないものへと変わってくる。
そして弘樹は気付いた。綾のパンチの雨あられに左右に薙がれる男の頭の動きが大きくなっていることに。
首に力が入っていない…既に意識がないのだ!
もしこのまま殴り続けたら……弘樹は最悪の結果を思い浮かべ、走り出した。

「やめて!それ以上やったら死んじゃう!!」
 綾の暴走を止めるべく、弘樹は意を決して綾の右腕に掴まって止めようとした。
だが弘樹の非力さで綾の豪腕が食い止められるはずもなく、さらにビンタを繰り出そうとする腕力に負けて投げ飛ばされてしまった。
綾と男を飛び越えるようにして宙を舞い、地面に叩きつけられる弘樹。
「ぐぇっ!!」
 彼の悲鳴が耳に入ったことで、綾の動きがようやく止まった。正気に戻ったようだ。
「…はっ!わ、私……!」
 綾が頭に冷静なものが戻ってきたところで見回すと、左手には元々どんな人相だったかわからないほど変形した顔の男、
それより少し離れた場所に腰を押さえながら呻いている弘樹、
さらに右手にはめていたロンググローブとセーラー服の胸元は男からの返り血で赤く染め上げられている。
「あっ…ぁぁ……!!」
 自分のしたことを認識するに至った綾は愕然とした。大事なコスチュームを切り裂かれた怒りに我を忘れ、
こんなとんでもないことを…左手から力が抜け、赤紫の巨大なボール状の顔をした男がドチャリとアスファルトに放たれた。
かろうじて呼吸だけはしているようだった。

「いてて…広田さん、ケガは…?」
 腰をトントンと叩きながら、少し重い足取りで弘樹が歩み寄ってくる。
…あらためて近くで確認するが、体に傷はないようだった。切り裂かれたのは、あくまでコスチュームの一部だけらしかった。
「よかった、切られてなくて。それにこの切り裂き魔も、一応まだ息はあるみたいだし、ひ…」
 見上げた弘樹は驚きで言葉が止まった。
綾が茫然自失の表情から一変、突如涙をボロボロと落としながら膝を折り、その場に崩れ落ちた。
膝でどうにか立ったまま、綾は弘樹にしがみつく。
「小寺君…ごめんね。せっかく作ってもらったコス…ダメにしちゃった。
私が調子に乗りすぎたから…こんな奴なんかに……切られて…
それに…こんなに汚しちゃうなんて…!小寺君が、苦労してくれたのに…私のせいで……
私が、バカだから…ほんとに…ごめんなさい………うわああああん!!」
 弘樹の胸に顔をうずめ号泣する綾。
服に濡れた熱い感触が広がってくるのを感じながら、弘樹も胸が詰まるような気持ちを覚え、何も言えないでいた。
街で大きな顔をしている集団も刃物を持った暴漢も難なく片付けてしまう女傑・綾が、自分の胸の中で泣いている。
しかも自分の作った服を切られ、汚れてしまったことを詫びながら。
何だかこっちが申し訳なくなってくる気持ち、それだけ綾にこの衣装を大事にしてもらっていたんだと嬉しくなる気持ち、
色々な思いが交錯する中、弘樹は口を開いた。
「も、もう泣かなくても…広田さん自身にケガがなかったんだから何も問題ないし、
コスなんて後でいくらでも作り直せばいいんだから…僕、それぐらいのことなら別に苦労なんて思わないし。
広田さんが無事で元気に暴れてくれればそれでいんだよ。
だ、だからもう…」
「こ、小寺君…私…ぐすっ、なんて言ったらいいか…」
 ぎゅううっ…
 メキッ、メリメリ……
「きょ、今日のことはもう忘れよう、広田さん…もう、もういいんだ…ぅぐぐ」
 弘樹の優しい言葉にますます綾は胸をいっぱいにし、跪いて弘樹を抱きしめたまま泣き続けた。
それをなだめ、綾の広い背中を叩き、さする弘樹。
しかしそれは半分、綾の腕力に負けてギブアップを伝えるようなものでもあった。
このままだと…背骨を折り砕かれてその夜の切り裂き魔以上の悲惨な末路をたどりかねない恐怖を感じていた弘樹だった。


つづく