妖精の鞭

 汗の臭いの染み込んだいわゆる男臭い空間に、明らかに異質な空気が突然舞い込んだ。
汗にまみれ鍛錬に励む男たちの動きは一瞬にして止まり、その侵入者の様子に釘付けとなった。

「ちょっとおじゃまするわよ。・・・ふぅん、広々としてていいお部屋ねえ」
「頑張っていらっしゃるようですわね。感心ですわ」
「うっわぁ、汗くさーい。よくこんなとこにいられるねー」
「でも部屋自体はいい感じだよ。きれいにさえすれば十分使えるかも」
 明るい笑い声や話し声を響かせながら、男子空手部の道場に続々と踏み入ってくる少女たち。
20人、いや30人からなるカラフルなレオタードに身を包んだ少女の集団に、道場内は1分もしないうちに完全に包囲されてしまっていた。
どの女の子も例外なく、男たちが雑誌のグラビアなどで鑑賞するような、またはそれ以上の水準ともいえる
美しさを持ち、それは例えるならば妖精の群れともいえた。
それまで男の臭いに満ちていた道場の空気は瞬時に、女の子特有の甘酸っぱい芳香に塗り替えられた。
突然わけのわからないうちに、甘い香りを放ち、なまめかしいまでの光沢を放つハイレグレオタード美少女軍団に取り囲まれた
男子空手部。普段女子になど全く縁のないむさ苦しい男たちにはあまりに刺激的な光景だった。
どの部員も、表情に戸惑いの色をあらわにしている。

「な、なんだいきなりお前たちは!?」
 男子空手部主将・戸口信昭が動揺を隠し切れないまま少女たちに問いかけた。
「知らないってわけではないんでしょ?私たちは新体操部よ。
一応言っておくと私はこの新体操部キャプテン・里村麗奈。よく覚えておくことね」
「そして私は副キャプテンの日高綾乃。よろしくお願いいたしますわ」
 少女たちの中でひときわ長身の2人が信昭の前に歩み寄り、悠然と見下ろしながら自己紹介をした。
落ち着きを取り戻せていない男たちと堂々とした2人の少女との対照に、周囲の新体操部女子からくすくす笑いが起こった。

「しっ・・・新体操部ってことぐらいは見ればわかる!一体何をしに来たか聞いてるんだ!」
「そうねぇ。簡潔に用件だけ伝えておこうかしら。
この道場、私たちにちょうだい♪」
「なっ・・・何だと!?」
「あら、聞こえなかったのかしら?あなたたちが使ってるこの道場、私たちが欲しいの」
「お、お前ら・・・何をわけのわからないこと言ってんだ!!」

「ねえ綾乃、どう思う?この人たち、これだけわかりやすく言ってあげてるのに理解できてないみたいだけど」
「仕方ありませんわね・・・なら私からご説明さしあげますわ。
我が新体操部がここ数年実力を伸ばして、全国大会でも上位に入るようになったのは
あなた方もご存知ですわよね?」
「・・・それが何だって言うんだ?」
「それによって新入部員が多くなりまして、私たちの練習場が手狭になってしまいましたの。
部の質を高めるためには、どうしても新たな練習場所を確保する必要がありますわ。
そこでいろいろ模索した結果、あなた方がお使いになっているこの道場が目に止まったというわけですの。
広さも申し分なしのようですし、こちらなら私たち女子新体操部の第2練習場に適格かと思いまして」
「そういうこと。ここまで詳しく説明すればいくらなんでもわかるでしょ。
ここなら心置きなく練習できそうだし、是非ここは押さえておきたいって思ってね。だからちょうだい」

 麗奈と綾乃の、あまりに唐突で一方的な要求に男子たちからざわめきが起こる。
「何考えてんだ!ここは俺たち男子空手部の道場だぞ!勝手なことばっかり言いやがって!」
 主将の信昭は当然声を荒げた。
「そんなことはわかってるわよ、こんな汗臭いとこ・・・
それからなんで、あなたたち男子空手部の道場が目に付いたかもう1つの理由が知りたい?
どっちかっていうと、こっちのほうが大きいかもしれないんだけど」
「な・・・何だ!何が言いたい!?」
「ちょっと調べたんだけど・・・あなたたち男子空手部ってさぁ、創部以来全国大会出場はおろか地区大会でも
まともな成績が残せていないらしいじゃない」
 その言葉と同時に、周りの女子たちからまたくすくすと笑い声が漏れる。
「実力のない部活が延々とこんなに広くていい場所を確保し続けてるのって、不公平じゃないかしら?
こういうことは、実績に応じて変化していくのが正しいことだとは思わない?
こんなに広くて立派なお部屋は、私たちのような強豪が使用するのが本来正しい姿よ。
あなたたちみたいなただ臭いだけの弱小な部に占領され続けて、道場もきっと泣いてるわよ!」

 片手を腰に当てて平然と言ってのけた麗奈のその言葉に女の子たちのくすくす笑いは爆笑へと変わった。
体型のみならず精神的にも完全に見下ろされた形の男子空手部一同は顔を真っ赤にして拳を握り締める。
「麗奈さん、そんな言い方は可哀想ですわよ。いくら本当のこととは言え」
 綾乃の、その悪意こそないが何のフォローにすらなっていない言葉がさらに妖精たちの笑い声に油を注ぎ、
男たちの心を更なる屈辱で深くかきむしった。
「何言ってるの綾乃、こういうことは本人の前で直接しっかり言ってあげなきゃダメよ。
ダメなものはダメだってきちんと指摘してあげなきゃ、そこからの発展はないの。
これは彼らのために言ってあげてることなんだから。・・・わかる?弱っちい空手部の主将さん」

 麗奈は身をかがめて、屈辱にプルプルと震える信昭の目を覗き込むように笑いかけた。
「どうしたの?何も言い返せない?・・・当然よね。全部事実なんだから。
・・・まぁそういうことだから、この道場は私たちが2つ目の練習場として使わせてもらうわよ。
わかったらさっさと荷物まとめて出て行ってね。大会も近いから練習の時間が惜しいわ」

「さっきから黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!!女のくせになめんな!」
 この恥辱に我慢しきれなくなった1人の男子空手部員がいきり立って麗奈に飛びかかった。

 ゴッッッ!!

 猛然と麗奈に襲い掛かったはずの男子部員は彼女のわずか手前で突然失速したかと思うと、
一瞬の間を置いてガクリと膝から崩れ落ち、手を付くこともなく顔面から前のめりに潰れてしまった。
「何っ!?一体何が・・・お、おい、しっかりしろ山田!おい!!・・・こ、これは!?」
 格闘技者としてまずありえない危険な倒れ方で突如ダウンした山田という男子部員のもとに駆け寄り
気遣う信昭の表情が一瞬にして青ざめた。
下から強烈にえぐられたように顎が外れており、下の前歯が鼻の頭にかぶっている状態で白目を剥いている。
その頭は重力に従いダランと下がった。・・・完全に意識を失っている。
ここまでのひどい状態は信昭も今までの経験で見たことがなかった。
(な、なにが起こったというんだ・・・まさか!)
 山田をそっと畳に横たえながら信昭は傍にいる麗奈を見上げた。平然と髪を後ろに払う麗奈と目が合う。
「まさか・・・お、お前がやった・・・のか?」
「今頃何言ってるの?・・・まさか、さっきの私の膝が見えなかったとでも言うのかしら?」

(膝!?)
 信昭は狼狽した。膝とは一体どういうことなのか。
あの数秒の間に、膝で・・・山田を蹴り倒したとでも言うのか!?80kgはある山田を!
確かに山田が飛び掛っていった瞬間、この女の後ろ髪が少しなびいたようにも感じられたが・・・
まるで見えなかった。ただ山田が1人で倒れたようにしか。信昭の背中に、冷たいものが走った。

「主将さんがさっきの動きが見えないなんて言うんだから、この空手部のレベルも相当なものよね。
やっぱりあなたたちは初心に帰って一からやり直すべきよ。男の子らしく、お外で元気にお稽古しなさい」
またも周りの女子たちから笑い声が轟く。
「さっきのキック、見えなかったんだってさ。素人以下だよね。あたしたちでも余裕で見えてるのに」
「それより見た?さっきの男子のスローな動き。あれで里村キャプテンによく挑めるよね」
「めっちゃ遅かった。あんなのあたしでも楽勝って感じ?」
「男子空手部ってさぁ、この程度の人しかいないんだとしたら、麗奈さんとか綾乃さんとかががもし本気出したら
死んじゃうんじゃない?」
「きゃはは、それあるかも〜」
「しっ、聞こえちゃうよ」
「いいじゃない聞こえたって。どうせ弱いんでしょ?」
「だからさぁ、弱いからあんまりほんとのこと言ってて聞こえてたらかわいそうだって言ってるの。
泣かしちゃったら由香のせいだよ」

 色とりどりの刺激的なレオタード姿の妖精たちが、男子たちにわざと聞こえるように嘲りの笑い声を響かせな

がら
男子部員の着替えや私物などを次々と窓から外へ放り投げていく。
「お、お前ら何を勝手なことを・・・!」
「たった今から女子新体操部の練習場に変わったのですから当然のことですわ。
あなたたちももはや部外者なのですから、一刻も早く退出いただきたいのですけど・・・」
「そんなのお前らが勝手に決めたことだろうが!俺たちは認めてねえぞ!出て行くのはお前らだ!!」
「だからさっき言ったじゃない。実績に応じるべきだって。それと、あなたたちのためとも言ったはずよ。
1年生、荷物が片付け終わったら仮の改装にも取り掛かってね!後で業者さんに頼んで本格的に
新体操用のお部屋にするとして、今は仮設の練習場として使えるようにいらないものは外すのよ!」
「はーい!」
 男子一同の反対を軽くあしらいながらの麗奈の指示を受け、1年生の女子たちが手際よく畳をはがし始めた。
「待て!!なめた真似しやがって!女が俺たちの道場に手を付けるのは許さんぞ!」
 空手部の男たちから見て強引としか受け取れない女子新体操部員たちの振る舞いに切れた男子一同が
彼女たちを実力で阻止しようと一斉に飛びかかる。そしてまず最初に1人の男子が1人の1年生女子の
腕を後ろからわしづかみにした。
「キャッ!!」

 しかし次の瞬間、それよりも大きな悲鳴が、掴みかかった男子空手部員の口から放たれていた。
「ぃぎゃああああああ!!」
 その絶叫のあまりの悲痛さを耳にして、他の男子たちはつい襲い掛かる足が止まってしまった。
「勝手な真似をしているのはあなた方のほうですわ。私たちの大事なかわいい後輩への手出しは見逃すことは
できませんわね」
 女子に掴みかかった男子の背後には綾乃がいた。素早く手首を取られ、背中に回された状態で
大きくねじり上げられて男子部員は泣き声にも似た悲鳴を上げていた。
長身の綾乃に腕関節の全てを極められてしまった男は激痛から精一杯の爪先立ちとなって
のけぞるようにして叫ばされていた。目からは既に涙がにじんでいる。
格闘技者としての正装である道着を身にまとった男が、レオタード姿のスレンダーな少女に腕をねじられて
あっけなく泣かされている惨めな様子に、女の子たちからまた笑いが巻き起こった。

「あ、ぐぐ・・・は、離せ・・・い、いでででえええ!!」
「あなた方のためを思って、少しでも平和的にお話をつけたかったのですが・・・残念ですわね」
「おとなしく話し合いで練習施設の明け渡しをお願いできればそれが一番だって思ったんだけどね。
やっぱり無理だったようね。こんな単細胞な連中相手では」
 うろたえる男子部員たちを見渡しながら、麗奈は腕組みをしたまま嘆息するようにつぶやいた。

「里村キャプテーン!これ、どうしたらいいですかぁ?」
 鮮やかな蛍光イエローのレオタードに身を包んだ1年生女子が、1枚の板を手に麗奈に質問した。
その板を目にした信昭の表情がみるみるこわばった。
それは・・・道場の外に掲げられていた、男子空手部の看板だったのである。
「ああそれ?どうせ私たち新体操部には何の役にも立たないゴミだから、廃棄しちゃってちょうだい」
 麗奈はこともなげにそう応えた。
「ふっ・・・ふざけるな!!その看板は、その看板はなぁ・・・」
 信昭が半ば青ざめたような表情でその1年生と麗奈を交互に睨みつけながら叫ぶ。
「あの看板が何だって言うの?確かに高級そうな木を使った板みたいだけど・・・そんなに大事なものなのかしら

?」
「お前ら、その看板に手出したらただじゃ済まさねえぞ!!その看板は、俺たち男子空手部の・・・」
 信昭が怒鳴りつけるのを遮るかのごとく、その看板を持っていた1年生が笑いをこらえるような顔をして言った


「歴史がどうこうとか言いたいわけ?代々伝わる看板とか、さぁ。・・・この人たち超おっかしい。
毎年毎年地方の大会でも負けてばっかりの激弱空手部に歴史なんて意味あるの?ムダじゃん」
 道場内は少女たちの爆笑の渦に包まれる。
「悔しかったら少しはこの立派な看板に恥じないぐらいの強い子になりましょうね♪」
 1年生の女子まで完全に見下した態度を取っている。
この女子新体操部は誰一人として、男子空手部を前に微塵も動じる気配を見せていなかった。

「許さん・・・どこまで俺たちを侮辱すれば気が済むんだ・・・!絶対に許さんぞ!!」
 怒りにふるえ歯軋りしながら1年生女子に憎しみの視線を向ける信昭。
しかしその1年生と麗奈はそんな信昭など眼中にもない様子で道場の片づけを進めようとしている。
「とりあえずその板はゴミよ。焼却炉にでも放り込んどいてくれる?」
「はーい」

 彼女たちのその態度に怒りが頂点に達した信昭が、ついに鬼のような形相でその1年生に殴りかからんと
足を踏み出した瞬間、
「えいっ☆」
 1年生はそのぶ厚く重い空手部の看板を両手で軽く宙に放り上げると、

 バキイィッッ!!

 剃刀のごとく鋭い上段蹴りを見舞い、空中で真っ二つに破壊してしまった。
走り出していた信昭の目の前に、無残にも2つに割られた厚い木の板が落下して転がる。
信昭は愕然とした表情で足を止めた。

「なぁに?そんな驚いたみたいな顔しちゃって。もしかして、1年生のあたしのキックも見えなかった?」
「・・・!」
 図星だった。信昭以下男子空手部一同には、この1年生の少女の脚の軌道すら目に入らなかったのだ。
そして、あの重厚な看板が空中でいとも簡単に叩き割られてしまったことへの驚愕。
「一番後に入った新人のあたしができるんだから、この新体操部の部員ならこの程度の板割るくらい
できて当たり前だよ。・・・あなたたちができるかどうかはわかんないけどさ」
 1年生の女の子は平然とそう言うと、2つに割れて焼却炉に入るサイズとなった空手部の看板を
拾い上げて鼻歌交じりに廃棄しに出て行った。

「これでわかったでしょ?いくら物分かりの悪いあなたたちでも。
私たちとあなたたち、どちらがこの立派な施設を使用するにふさわしい部であるかが。
理解できたのなら、即刻出て行きなさい。お片づけの邪魔なのよ、さっきから」
 麗奈の物言いは、先ほどにも増して横柄なものになっていた。
明らかに、最初と比べて男子たちを見下ろす視線が冷たいものになっている。
「ぅ・・・ぐぐ・・・うるせえ!!ここは俺たちの道場だと言ってるだろ!!
それを勝手にいきなり上がりこんできた女どもにくれと言われてはいそうですかって渡す男が
どこにいると思ってやがる!邪魔なのは、物分かりの悪いのはどっちだ!このクソアマども!!」
 目の前の長身な妖精たちの、とてつもない実力を目の当たりにして動揺を隠せないまま、
信昭は男としての意地にかけて罵り返した。
突如侵入してきた女たちに仲間を一撃でKOされ、自分たちの部の魂ともいえる看板を捨てられて
部室や道場も乗っ取られておめおめと引き下がったとあっては男として生き恥以外の何物でもない。
このままでは明日から校内などまともに歩けなくなってしまう。

「どうしても・・・ご理解いただけないのですね・・・」
 綾乃が悲しそうな表情を浮かべた。
その綾乃の足元では、先ほどあえなくねじり上げられた男が腕を押さえて嗚咽しながらのた打ち回っている。
「まったく、ここまで聞き分けのない、手のかかる男たちとは思わなかったわ。
荷物などよりも先に、片付けなきゃいけない厄介ものは他にもゴロゴロしてるってわけね。
綾乃、とりあえずこの一番小うるさいのをお願いしてもいいかしら?」
 麗奈が綾乃に対し、いきり立つ信昭を指差しながら言う。
186cmの麗奈が188cmの綾乃に、166cmの信昭をまるで1つの小荷物のように指差しながら。
男としてどころか、同じ人間としても扱われていないような屈辱に信昭はますます逆上した。
「てめえら!!殺してやる・・・2人まとめて来い!!ただで帰れると思うな!!」

「フン、お口だけは達者なのね。ほんとは恐いくせに。わからないとでも思ってるの?
・・・じゃ、お願いね。綾乃」
「わかりましたわ」
 顔を真っ赤にして怒り狂う信昭の前に、超長身のレオタード姿の美少女妖精が立ちはだかる。
道場の照明に照らされてエロチックな光沢を放つ蛍光ブルーの長袖レオタードに身を包んだ綾乃。
190cm弱の堂々たる長身からなるただでさえ長い脚が、超ハイレグレオタードによりさらに強調されている。
信昭のへその位置よりも高くそびえる、眩い美脚で歩み寄る綾乃。
「私たちとしても無益な争いは極力避けたかったのですけど・・・致し方ありませんですわね。
話し合いでおわかりいただけないなら、おわかりいただけるまでそのお体に教えて差し上げますわ。
痛いほど・・・ね」
 綾乃はかすかに冷たい笑みを浮かべながら、切りそろえられた長く美しい黒髪をサラリとかきあげた。

 はるか上から見下ろされて浴びせられるお嬢様言葉に耐えがたい屈辱を感じ取った信昭が殴りかかる。
「バカにしやがって!まずはお前から殺してや・・・るっ!?」

 パアァン!

 自分の間合いに入るべく足を踏み出した瞬間に、信昭の顔面は鋭い衝撃に大きくのけぞっていた。
何が起こったのか把握しきる前に、信昭は鼻の下にドロッとした熱い感触を受けた。
足元の畳に、ボタッボタッという音を立てながら大きな赤いシミが次々と広がっていく。
(はっ・・・鼻血!?なぜだ!何が起こった!?)
「よそ見は危険ですわよ」
 スパアァンッ!
「ぐぅうっ!?」
 突然の流血の動揺が覚めやらぬ次の瞬間、上から綾乃の声が聞こえると同時に
右太腿の外側に破裂するような音と焼け付くような熱い激痛が襲い掛かった。
奥の奥まで響き渡るような衝撃に右足の感覚が瞬時に麻痺する。信昭が右にバランスを崩した刹那、
 ビシィィッ!
「ぐがっ・・・」
 間髪入れずに今度は左すね外側に空気も切り裂くような一撃が見舞われた。
わけのわからぬうち立て続けに叩き込まれた3発の衝撃。鼻血を吹きこぼしながら力なく畳に両膝をつく信昭。
ほんの一瞬だけ、自分の顔の下あたりに風を感じたような気がした・・・

 ズゴッッ!!

 下顎をゴルフクラブで一撃されたようなショックにあおられ、信昭は膝を折ったまま畳に後頭部を
激しく打ち付けた。あまりの衝撃に受身すら取れなかった。

「ふふ・・・見えまして?私の蹴りが」
 正座したような状態で力なく仰向けにダウンしている信昭を、綾乃が優しげな微笑みをたたえながら
両手を腰に当てて高い高い位置から見下ろしてくる。
こんな恥辱にまみれた構図が耐えられず、信昭は渾身の力をもって素早く立ち上がる。
その動作の合間にも体のいたるところから悲鳴があがり、信昭は苦痛に思わず顔を歪めた。
これまでの空手人生において誰からも受けたことがないほどの重さを伴った痛みが
目の前の新体操少女から息つく暇もなく3発も打ち込まれた事実を、信昭は飲み込みきれていなかった。
これが女の蹴りだというのか!?まるで目に入らなかった・・・信昭は焦り、うろたえた。
立ち上がってファイティングポーズを取る信昭だが、その両脚は奥まで響く鈍痛にいまだ震えていた。

「やせ我慢をなさっているのではなくて?無理は体に負担をかけますわよ」
 柔らかい清楚な言葉とともに、綾乃の右足が下段に鋭く走ったのを信昭は初めて視界に入れた。
(ローが来る!)
 これをかわしてカウンターを狙おうと足元に意識を集中させる信昭だったが、

 ドゴォッ

 その瞬間には左側頭部に重い重い衝撃が打ち込まれて、信昭は猛スピードで右側頭部から畳に飛び込まさ

れた。
「軽いフェイントですわ。始めはできるだけゆっくりと動かして、様子を見てみましたの。
やはりあなた方には、私の脚の動きはまるでつかめていないようですわね・・・」
 両手を後ろに組んだまま真上から見下ろして綾乃が言う。
その涼しい目には明らかに、弱き男への憐れみの感情がこもっていた。

 男としてのプライドをふりしぼり、おぼつかない足取りながらも必死に立ち上がる信昭。
しかしその心の中は既にパニック状態に陥り、焦燥感と今頃芽生え始めた恐怖感に覆われ始めていた。
(な・・・なぜなんだ!日々こうして鍛えている空手部の俺たちが・・・こんなに・・・
何者なんだ、この女たち・・・ただの新体操部じゃなかったのか!?つ・・・強い・・・)
 優美な微笑みを絶やさないまま悠然と歩み寄って来る綾乃の前に、信昭は冷たい汗が止まらない。
心を支配しつつある怯えの感情が、じりじりと信昭を無意識のうちに後ずさりさせていく。
「ねえねえ見て、あの主将さん。綾乃さんにビビってる。超おかしくない?」
「そりゃそうでしょ。まともにやってかなうわけないもん。綾乃さん、めちゃめちゃ手加減してるしね」
「綾乃さんとかキャプテンなら片脚しか使わなくても、こんな空手部なんかマジで全滅だよね」
「それにしてもいい恥さらしよね。毎日空手ばっかりやってるくせに、新体操部の女の子に
格闘技でボコボコにされちゃうなんて。これまで何やってたのって感じよね」
「今まであたしたち女子の強さも知らないで、のうのうとこんなにいい場所を占領し続けた当然の報いよ。
これがいいお薬になるんじゃない?」
「そうだ、あたしたちも綾乃さんみたいに、お片づけしちゃおうよ。荷物とかなんかより、
このウザくて臭い男どもを先に片付けたほうが絶対作業もはかどるよ」
「それいい。じゃあ、速やかに済ませちゃいましょ」
 嘲笑しながら見物していた1、2年生の女子たちの視線が、
自分たちの部の主将が何の手出しも出来ず新体操部の女子に一方的に痛めつけられる様子を
愕然とした面持ちでただ見ているしかできない男子部員一同へと向けられた。
それに気づいた男子たちの血の気が、今にも増して引いていく。

「どうなさいましたの?おあとがありませんわよ」
 後ずさりを続けていた信昭の背中に、道場の壁が当たった。追い詰められた!
自分とは射程距離のまるで違う長い脚が、見えない速さで見えないところから飛んでくる恐怖感。
間合いに入ることさえできないプレッシャー。そして今、完璧に退路を断たれてしまった現実。
信昭の心は押し潰されようとしていた。
そしてもう1つ信昭を戦慄させていたもの、それが綾乃の肉体そのものだった。
ただの細身の長身ではなかった。綾乃が歩を進めるたび、そのスラリと長い脚は
内包された逞しい筋肉が深い割れ目を作り、信昭を威圧するかのごとく盛り上がって近づいてくる。
腹筋も、広い肩幅も、上腕も、レオタードの中で信昭など比較にもならない逞しさでうごめいている。
しなやかな筋肉をまとった、美しき女子アスリートの肉体だった。
「私の体が気になりますの?・・・ふふっ、私たち女子新体操部は美しい演技で人々を魅了するために
日々苦しい鍛錬を続けているのですわ。私たちのこのボディは毎日の努力の結晶ですのよ。
あなた方のような格闘技のふりをしたおままごとのような部活とは・・・」

 ズドォ!!

「根本から違いますの」
 綾乃の膝が、信昭の目にも止まらぬ速さでみぞおちへ深々とめり込んでいた。
内臓全てが痺れてしまうような重々しい衝撃に呼吸を奪われ、信昭は鼻血と鼻水が入り混じった薄汚い液体を
垂れ流しながら無言の絶叫を上げた。
「あらあら、随分と柔らかいぷにゅぷにゅのおなかですのね・・・鍛え方が絶対的に足りないようですわ」
 毎日道場で汗水たらして鍛え上げているはずの腹筋が・・・この女の脚の前に何の役にも立たない現実。
彼女たちにしてみれば、日頃の自分たちの鍛錬など足元にも及ばないというのか・・・
まるで酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせて呼吸にならない呼吸で悶え苦しみながら、
信昭は女たちとの絶望的なまでの実力差に打ちひしがれながら崩れ落ちようとしていた。
だが・・・

 ズパァァッ!

 その瞬間には真下からの、鋭利な刃物のような一撃に顎をすくい上げられていた。倒れさせてもらえない。
信昭の視界には入ることのない鋭さの蹴りで顎の肉が深くカットされた。鮮血がほとばしる。
「あなたたちは日頃どれだけ、苦労のなく楽しい練習をなさっているのですこと?」
 綾乃の余裕綽々なそのセリフと同時に、信昭の全身は堰を切ったかのような打撃の洪水にさらされた。

 ビシィッ!ズバアァ!ドスゥゥ!バキィ!ドッゴオォォォ!!

 外腿に、内腿に、腹に、脇腹に、尻に、胸板に、上腕に、顎に、こめかみに、そして顔面に。
華麗に舞い踊るように左右の蹴りを繰り出す綾乃と、その全てを叩き込まれ不恰好に踊らされる信昭。
綾乃の蹴りは鞭のごとくしなってうなりをあげ、厚手の道着を切り裂きながら信昭の肉体を深々とえぐる。
それはまさしく、刺激的なハイレグレオタードに身を包んだ魅惑の妖精による凄惨な鞭打ち刑だった。
「少しは手をお出しになってはいかがですの?私を殺すとおっしゃっていましたのに・・・」
 ゴスッ!!
「どのように、ただで帰してくださらないのかしら?」
 バッシィィィン!!
「教えてくださいませんこと?」
 ドムッッ!!
 信昭は既に、ズタズタに切り裂かれた道着とその切れ目からのぞく無数の紫色の鞭打ち痕が痛々しい、
ただのサンドバッグと成り果てていた。悲鳴すら満足に上げさせてもらえない。
そして、何より無残に切り裂かれていたのは信昭自身の心だった。
伝統ある空手部主将として、校内の男女に睨みをきかせることができたはずの誇り高い姿はもうどこにもなかっ

た。
そこにあるのは、背の高い新体操部の女の子に面白半分に蹴りまくられてただ悶絶する、
惨めったらしい負け犬の姿だった。
できることなら信昭はもっと前に男のプライドなどかなぐり捨てて、他の男子に手助けを求めたかった。
しかし、今となってはもはやそれも不可能となっていた。
なぜなら、この道場には既に男子空手部員は信昭1人しか残されていなかったからだ。
信昭以外の男子部員はもうとっくに、他の女子新体操部員たちに1人残らず叩きのめされ、
彼らの荷物同様あっけなく窓から放り捨てられていたのだった。
入部したばかりの1年生女子にまで、彼らは完膚なきまでに打ちのめされてゴミ同様に投棄されたのだ。

 この新体操部の女たちのほうが、我ら男子空手部の何十倍も強い――――。

 圧倒的な現実に信昭の心は無残に押しつぶされ、涙がとめどなくあふれ出していた。
信昭は、泣いていた。男としての、空手家としての自尊心などとっくに女の脚の前にへし折られていたのだ。
もし自由に呼吸が許されていたら、声を上げることができていたら、信昭はこの道場を女子新体操部に
無条件で明け渡すことを自分から声高く宣言し、綾乃の足元で必死に命乞いをしていたはずだ。

(あなたたち女子新体操部のほうが強いのはよくわかりました!!
僕たちが間違っていました!この道場を自由に使う資格があるのはあなたたちのほうです!
どうぞご自由にお使いください・・・申し訳ありませんでした!
失礼なことを言ったのは謝りますから・・・だから、どうかもう許してください!!)

 しかしそれを口に出すことはできなかった。嗚咽を伴ってわずかに最低限の酸素を取り入れられる程度だから


「・・・このあたりでもうおわかりいただけましたこと?私たちとあなた方の差というものが。
ご理解いただけたのなら本来はここで許してさしあげるのですけど・・・しかしあなたは先ほど私たちに
品のない暴言をお吐きになりましたわよね。『クソアマ』とおっしゃいましたのを覚えていますわ。
女の子の前であまりに失礼な言葉とは思いませんこと?
これから、その償いをきっちりと果たしていただきますわ。・・・覚悟はよろしくて?」
(そ、そんな!!もう許し・・・)
 パァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァン!!
「ぶぅぐぅうううううううううっっ!!」
 綾乃の表情から優しい笑顔が消え冷たい無表情に変わったかと思うと、妖精の鞭打ち刑が
今度は信昭の顔面へと炸裂した。
綾乃のすべすべとした美しい足の甲が目にも止まらぬ速さで往復して信昭の頬を鳴らす。
右左右左右左右左と高速で、ちぎれそうにねじれる信昭の顔。その面積は見る間に醜く広がっていき、
赤、紫、青と毒々しい色へと染め上げられていく。凄絶な往復足ビンタだった。

「たっぷりと・・・反省なさい」
 凍てつくような視線で機械的に言いながら、綾乃は信昭の顔面を右足1本で滅多打ちにする。
左右から横殴りに間断なく降り注ぐ、蹴りの集中豪雨。皮膚が破裂するような、大きい乾いた音が
道場内にハイピッチでこだまする。信昭の周囲には血と涙、そして歯までも降り注いでいた。

 信昭の顔面はいつしか、鼻の頭さえも埋没してしまうほどに醜くまん丸に膨れ上がっていた。
頬、唇、まぶた、額、あらゆるパーツがパンパンに腫れあがった、ギャグマンガの世界から飛び出してきたかの

ような
風貌に、道場は女の子たちの爆笑で割れんばかりとなった。
ようやく綾乃の足ビンタ地獄から解放されてフラフラと歩き回る信昭の様子がさらに滑稽に映ったらしく
笑いの渦は止まらない。おなかを抱えて涙を浮かべながら爆笑する女子までいる。
腫れあがって完全に塞がった視界の中、この惨めな姿を30人以上の女の子の前で晒し者にされていることに
信昭は声にならない声で泣き崩れた。噴き出す鼻血で真っ赤に染まった顔が涙で洗い流されていく。

「最後に・・・あなたの心無い言葉で私たちがどれだけ傷付いたかを、身をもって味わわせてさしあげますわ。
これに懲りて、今後は女の子の前で軽はずみな言葉遣いは慎んでいただければ幸いですわ」
 背後から綾乃の声が聞こえたその瞬間、

 ボグゥゥッ!!
「ぎゃおおおおおおおおおおお!!」

 突如股間を襲った、真下からのハンマーのような衝撃に信昭は一瞬宙に浮きながら絶叫をふりしぼった。
綾乃の膝による、あまりに冷酷なおしおきの鉄槌だった。
2つの玉が体の内部で腹にめり込み、猛烈な吐き気を伴った鈍痛が容赦なく信昭を襲う。
土偶のようなまぶたから白目を剥き出し、冷たい脂汗と口からの泡にまみれて膝から崩壊する信昭。
じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ・・・
道着とその下の畳に、すごい勢いで悪臭を放つ黄色い液体が広がっていく。
「キャー!!きったなーい!!」
「女の子にタマタマ蹴られてお漏らしなんてサイッテー!!」
「なさけなーい!幼稚園からやり直しなさい!」
「もう、誰か畳ごと外に放り出しちゃってよ!!くっさ〜!!」
 全身が自分の排泄物に浸ったまま眠りについてしまった信昭には、妖精たちの罵声と爆笑は既に耳に入って
いなかった・・・

 道場を追われた情けない男たちは、突然上からかけられた大量の水で強制的に目を覚まさせられた。
彼らは新体操部の女子部員たちの蹴りという名の鞭により全員失神させられ、道場の外のアスファルトの上に
無造作に放り投げられて幾重にも折り重なっていたのだ。
そんな彼らの目の前では、バケツを持った少女が笑いながら立って見下ろしていた。
黄色いレオタードに身を包んだ、空手部の看板を易々と破壊した1年生の少女だった。

「これからあの場所は、あたしたちの部が第2練習場として使わせてもらうからね。
あなたたち負け犬部にいちいち文句言ってくる資格なんかないんだからよっく覚えておいてね。
これからはあなたたちも、心機一転頑張らなきゃダメよ。適当にグランドで空いた場所でも探してさ。
・・・あっ、そうだそうだ。さっきは看板壊しちゃったりしてごめんね。
かわりに、これあげる」

 そういうと少女は、ダメージが深く満足に起き上がれない男どもの前に1本の棒を軽く投げ落とした。
食べ終わったアイスクリームの棒に、ボールペンで『からて』と書いてあるだけの。
「あなたたち男子空手部の新しい看板よ。今さっきあたしが作ってあげたの。
虫ケラみたいに弱っちい空手ごっこみたいなあなたたちにはピッタリの素敵な看板でしょ?
それ、グランドの土にでも刺しとくといいかもね。でもなくさないように気をつけなきゃダメよ」

 男たちのプライドをズタズタに引き裂くような嘲りのセリフを容赦なく投げかけて、少女は微笑んだ。
屈辱に神経を逆なでされながらも、さっきの今この少女たちに足腰立たなくされてしまい
恐怖感を深く深く植えつけられた男たちは誰一人として向かっていくことはできなかった。
下手に逆らって怒らせれば、今度こそあの看板のように真っ二つにされてしまいかねないと。

「おっと、こんなことしてる場合じゃないんだった。練習の時間が惜しいわ。
じゃ、あなたたちも頑張って少しは強くなろうね!バイバーイ☆」
 その少女はそういい残して足早に男子空手部道場改め女子新体操部第2練習場へと走って戻っていった。
彼女の均整の取れた素晴らしいスタイルと、眩しいレオタードから一端をこぼした引き締まったヒップ、
そして彼女から与えられた新しい空手部の小さな看板を目に入れながら・・・
空手部の男子一同は激痛の残る体を引きずりながら、無念さにいつまでもおいおいと泣き続けていた・・・


おわり