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Mande Music and Griot
マンデ音楽とグリオ

ニャマ・カンテの音楽的背景

 
西アフリカのギニアに生をうけ、コート・ジヴォワールで育ったニャマ・カンテ。その音楽的素養はギニアの家族をとおして伝えられた伝統音楽と、コート・ジヴォワールの大都市アビジャンにおける現代的感覚によって育まれた。伝統的要素と現代的要素が矛盾なく融合しているのが現代アフリカ音楽の特徴。ニャマ・カンテの音楽にもそんな過去&未来志向のサウンドを感じることができる。

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マンデ音楽

 アフリカ大陸は驚くほど豊かな音楽スタイルで満ちあふれている。南アフリカのンバカンガ、ジンバブウェのチムレンガ、コンゴのルンバ、カメルーンのマコッサ、ナイジェリアのジュジュ、アフロビート、ガーナのハイライフ、セネガルのサバール・・・・・数えはじめたらきりがない。こうした魅力あふれるアフリカ音楽のなかで忘れてはならないのがマンデ音楽だ。サリフ・ケイタ、モリ・カンテ、カンテ・マンフィラ、ベンベヤ・ジャズ、アビブ・コイテ、カセ・マディ・ジャバテ、ジャンカ・ジャバテ、ウム・サンガレ・・・・・こうしたワールド・ミュージック・シーンではおなじみの面々がマンデ音楽のリストを彩っている。そしてニャマ・カンテもマンデ音楽をその音楽的源泉としているのである。
 マンデ音楽はギニア、マリを中心に、コート・ジヴォワール、ブルキナ・ファソ、セネガル、ガンビアに住むマンデ系諸民族(マレンケ、マンディンゴ、バンバラ、ジュラなど)の音楽。現在はいくつもの国境をまたがって広い範囲に居住する諸民族だが、かつてはマリ帝国というひとつの大帝国のなかにまとまっていた人々。つまりマリ帝国の末裔たちがいくつかの民族に分かれ、さらにそれが植民地時代にヨーロッパ人が勝手にひいた国境により分断された、というわけなのだ。ではマリ帝国とはいかなるものか?それを語ってくれるのがグリオと呼ばれる人々である。

グリオ 

 時は13世紀。西アフリカは戦国時代まっただなか。いくつもの国々が凌ぎを削るなか、スマオロ・カンテ王率いるソソ帝国が勢力を拡大していた。だが彼は悪名高き独裁者。精霊から譲り受けたとされる魔法のバラフォン(木琴)から不思議な力を得ながら、圧倒的な武力で天下統一へ王手をかけていた。そのゆく手を阻んだのがマンデ国の王子、スンジャタであった。彼は無敵とされたスマオロ・カンテを撃ち破り、天下統一をはたす。新しい国の名はマリ帝国。スンジャタの死後も版図を拡大しつづけ、15世紀まで栄えつづけた。このスンジャタの出生からマリ帝国の建国までの叙事詩を語りつたえるのがグリオである。
 アフリカのほとんどの国は伝統的に文字を持たない、いわゆる無文字社会だ。であるから情報の伝達に文字を使うことができず、歴史も書き記すことができない。そこで彼らはことばと歌で語りつたえるという方法を発達させてきた。歴史は読むものではなく、聞くものとなる。この歴史の口頭伝承の専門家がマンデ語で<ジェリ>、ヨーロッパ語で<グリオ>と呼ばれる語り部・楽師である。歴史や出来事を記憶し、それをバラフォンコラ(伝統的ハープ)、あるいはンゴニ(伝統的ギター)にあわせて語り、歌う。知識と知恵の所有者として、かつては王侯貴族のよき助言者であり、現在でもトラブルの仲介役として活躍する。結婚式などの伝統儀礼では出席者の誉め歌を歌って場を盛りあげる。マンデ社会における社会的コミュニケーションを司るプロフェッショナルな「声の仕事人」、それがグリオなのだ。グリオの技は特定の家系により、親から子へと伝えられる。マリ帝国が滅んだ後もその歴史はグリオによって語り継がれ、現在でもマンデの人々は自分たちの出自をグリオの歌の中に見いだすことができる。長いあいだにわたり音楽に携わってきた彼らは現代の音楽シーンにおいても活躍している。
 ニャマ・カンテはグリオの家系に生を受けた。父方はモリ・カンテ、カンテ・マンフィラを輩出したカンテ一族。父カマン・カンテはギニアの伝説的バンド、ホロヤ・バンドのベーシストで、アビジャンに移り住んでからはアンバサドゥールでベースを弾いた。母方はジャンカ・ジャバテ、ウム・ジャバテを輩出したジャバテ一族で、祖父のシディ・ママディ・ジャバテは名バラフォン奏者として知られ、その偉業は現在まで語り継がれている。 
 
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バラフォンを演奏するシディ・
ママディ・ジャバテ(左)は
ニャマ・カンテの祖父。
右のふたりはその弟。
コラを持つジェリ・ムサ・
ジャワラ。ニャマ・カンテと
2006年2月に共演した。
ンゴニを持つモリバ・
コイタ。ニャマ・カンテと2004年5月のアフリカン・
フェスタで共演した。
ホロヤ・バンド時代の
父カマン・カンテ(右)。
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