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黄金色に輝くエリス・カップは世界最強の証。四年に一度の歓喜の祭典で真のNo1が決まる!





ワールドカップ概論

 サッカーでは1930年に第一回ワールドカップが開催されていたが、ラグビーは従来ホーム&アウェーによる国際試合が主流(もちろん現在も行われている)だったため、「一つの大会で世界最強の国を決定する」という発想がなかなか馴染まず、ワールドカップの構想実現には非常に長い時間を要した。

 また富裕階級中心のラグビーユニオンがアマチュアリズムを重要視していたことも、興行的な要素が強いワールドカップ開催には大きな障壁となっていた。



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 第一回ラグビーワールドカップはサッカーから遅れること半世紀以上、1987年になってやっと開催される。

 実力世界一を証明するために、大会の実現を切望していたオーストラリア&ニュージーランドが開催国となり、見事ニュージーランド代表チームが優勝を勝ち取った(オーストラリアは4位)。

 大会通算で126得点を記録し、見事得点王に輝いたニュージーランドのフォックスの慎重なキックが光った。
 またトライ王もグリーンとカーワンが仲良く6本で同時受賞しており、5トライ以上奪った上位7人のうち5人はオールブラックスの選手であったことも、いかに攻撃力が充実したチームであったかを物語っている。

 対照的に北半球勢は準備不足が散見された。
 ラグビーの母国であるイングランドは予選プールでオーストラリアに敗れ、ベスト8ではウェールズ(三位)に敗れている。

 ちなみに南アフリカ共和国は政治的理由から国際的に孤立していた時期で、この大会には参加していない。
 またこの大会のみ予選は行われず、参加した16ヶ国はすべてホスト国の招待を受けて参戦する形になった。



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 第二回大会は欧州5カ国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの英国連邦4チームとフランス)がホスト国となり、第一回大会から4年後の1991年に開催された。

 ちなみに南アフリカは前回同様、不参加。
 またこの大会からやっと、地区予選が実施されるようになった。

 イングランドはラグビー発祥の地として、「ラグビー母国」の威厳を取り戻すべく開催国優勝を目指し、南半球へのリベンジを誓う。

 まずは前回王者のニュージーランドを追い落とすべく、強国の情報を抜かりなく集めた。
 その中で当時、オールブラックスのフォーワードを支える、大黒柱であったFLジョーンズが宗教上の理由から「日曜日にはラグビーができない」という事実を知ると、すかさず開催国間で協議して、ニュージーランドの準々決勝、準決勝がいずれも日曜日になるように設定してしまったのである。

 結果、オールブラックスはジョーンズを欠いたまま、準決勝でオーストラリアに敗れてしまい、連覇の夢を絶たれてしまった。

 フランスとスコットランドを順調に下し、(共同開催ではあったが)地元開催での初優勝に向け、確実に盛り上がってきたイングランドだったが、準決勝まで繰り広げてきたキック中心の戦術が「退屈」という酷評を受け、順風満帆な戦果の裏で実はかなり苦悩していた。

 そんな外野の騒音を受けて迎えた決勝戦では、前回地元開催ながら4位という非常に不本意な成績に終わり、今大会での躍進を狙うオーストラリアと激突する。

 メディアのバッシングを振り払うべく、大胆にもそれまでの戦法をあっさり捨て、パス中心の展開ラグビーに転向してみせたが、オーストラリアの堅守を前にして「付け焼刃」のランニング・ラグビーは全く通用せず、結局ノートライに封じられてしまい敗戦、準優勝に終わった。

 オーストラリアはベスト8でアイルランド相手に1点差の辛勝があった他は堅守を維持、二大会連続となった南北対決の決勝戦を見事制した。



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 第三回大会はやっと国際舞台に復帰できた南アフリカがホスト国となり、1995年に開催された。
 識者間では相当な強国と噂されながらも、その実力は未知数だった南アフリカは開幕戦で、前回王者のオーストラリアをいきなり粉砕、強烈なワールドカップデビューを飾ると、そのまま全勝で突き進んで鮮烈な優勝を飾っている。

 表彰式にて、スプリングボクスのジャージを着て熱烈に応援していた、新しい南アフリカの象徴であるネルソン・マンデラ大統領と、スプリングボクスのキャプテン・ピナールが、エリスカップを挟んでがっちりと握手した感動的なシーンは、同国の長かった閉鎖の時代の終焉を世界中に強く印象付けた。

 前回準優勝のイングランドは大会直前の欧州五カ国対抗戦で、11回目のグランドスラム(全勝優勝)を達成、勢いに乗って南アフリカに上陸した……はずだったが、リーグ戦初戦のアルゼンチン相手にまさかの大苦戦、ノートライに抑えられてしまう。
 キックで競り勝ち、三戦全勝で決勝トーナメント進出を決めるが、トライの数はPoolBの4カ国中最少で、どういうわけかひたすらトライが取れないチームになってしまった。

 イングランドはトーナメント一回戦にて、前大会の決勝戦で母国初優勝の夢を叩き潰した宿敵、オーストラリアと再度激突する。
 同点でむかえた終了間際にSOアンドルーが劇的なドロップゴールを決め、ここは見事にリベンジを果たした。

 しかし今度は記録ずくめの天才巨漢ウィング・ロムーを擁するニュージーランドに、準決勝で敗れてしまい(ロムーはこの試合4トライと大爆発)、またも南半球勢の壁を前に涙を飲んでいる。

 「甦った巨人」南アフリカとニュージーランドが激突した決勝戦は80分では決着がつかず、延長戦に突入した。
 試合は延長後半1分、南アSOストランスキーが放ったドロップゴールが決まり、これが決勝点となってノーサイドを迎えている。

 この試合は100分間に渡り双方ノートライという、すさまじい攻防のゲームだった。
 なおトライ王はロムーとエリス(共にオールブラックス)が共に7トライで同点受賞している。



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 第四回大会は1999年に開催。
 ウェールズがホスト国
だった。

 ホスト国なのに、もし決勝トーナメントに進出できなかったら、もの凄く格好悪い……とウェールズ・ラグビー協会が心配したのか、あるいは疲労を溜めずに余力を残してさっさとPoolリーグを一位通過したかったのか、ともかく様々な思惑の果てに“かなり恣意的な”Poolの組み合わせが決定する。
 結果としてウェールズが入ったPoolDには前大会の四強国が一つも入っていなかった(結果、勝ち点7で3チームが並ぶ、大混戦リーグになってしまった)。

 その影響を受ける形で、よりによって、オールブラックスと同じプールに入れられてしまった不運なイングランドは二位通過となり、トーナメント進出をかけた、フィジーとのプレーオフにまわされてしまった。

 ちなみに辛うじて一位通過したホスト国・ウェールズは決勝トーナメント一回戦で、オーストラリアにあっさり撃破されている。

 そのオーストラリアはイングランドを破った前回チャンピオン・南アフリカと準決勝で激突した。
 勝負は延長にもつれこんだが、延長後半3分にSOラーカムが決めた、ゴールまでの推定距離48メートルというロング・ドロップゴールにより、オーストラリアが劇的な勝利を飾り、三度目の決勝戦進出を決めた。

 翌日行われたもう一つの準決勝では、フランスがロムー擁するオールブラックス相手に逆転勝利を収めるという、大波乱が起こる。

 そして四大会連続の南北対決となった、オーストラリア対フランスの決勝戦を制したのは、97年の就任以来緻密なスケジュールを立てて用意周到な采配を徹した智将、ロド・マックイン監督率いるオーストラリアだった。

 組織防御の理論を極限まで完成させ、黄金のカーテンディフェンスを展開、大会通算で一つしかトライを許さなかったことで、世界のラグビーにおいて防御理論優勢の時代が完成したことを示す象徴的な優勝となった。

 ちなみにアメリカはPoolEで3戦全敗、早々にPoolリーグ敗退が決まってしまったのだが、オーストラリア戦でグロブラーがトライを記録しており、これが前述の通り今大会でオーストラリアが許したただ一つのトライとなったため、後に(色々な意味で)各方面から賞賛されることとなった。



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 第五回大会は2003年、オーストラリアで開催された。

 実は前回大会終了時の計画ではニュージーランドとの共同開催だったのだが、ニュージーランド協会の非協力的で独善的な姿勢をIRBが嫌悪し、大会準備が遅滞、やむを得ずオーストラリア単独開催案が可決された、という経緯があった。

 オーストラリア政府や大会運営スタッフはもちろん、多数のボランティアスタッフや、熱烈かつ誠実な無数のオージー・サポーターたちに支えられ、全48試合44日間に渡って繰り広げられた国際祭典はテレビの視聴率、ツアー客数、大会運営規模、メディア数など、あらゆる面において「過去最高」を記録した。

 総観客動員数837,547人はもちろん史上最高記録であり、ラグビーワールドカップという企画自体を一気に巨大なものに仕立て上げた大会と言えるだろう。

 また予選Poolの数が第三回(95年)大会時の4つに戻った替わりに、一つのPoolに入るチーム数が前回から一つ増えて五チームになったため、上位2チームが決勝トーナメントに進出するという形に収まった。
 これは前回大会のプレイオフがやや分かりにくかったという反省からだが、この辺のシステムは参加国数の適正化の議論と合わせて、まだ検討の余地があると思われる。

 この大会中、ほぼ唯一と言っていい大波乱を起こしたのは、地元開催ながら至極不評だったワラビーズだった。
 準決勝では圧倒的不利の前評判を鮮やかに覆し、驚異的なボールキープ力と素晴らしい組織力で見事オールブラックスに完勝、4大会連続の決勝戦進出を決めている。
 他方、二大会連続で準決勝敗退を味わったオールブラックスは開催国の地位を逃したことと合わせて、壮絶な批判に晒されることとなった。

 もう一つの準決勝では今一つFlare(閃き)がみられなかったフランスが雨も不利に働いて、ウィルキンソン擁するイングランドに惨敗。
 これにより決勝戦は第二回大会と同じく、イングランド対オーストラリアとなった。

 そして第二回大会、地元開催ながら優勝を逃したあの悔しさが、イングランド・サポーターたちに鮮明に蘇る。
 信念の純白は今回も突然決勝戦で展開ラグビーに切り替えたが、メディアの酷評に屈した感のある第二回大会とは本質的に違っていた。
 今回のイングランドにはそれだけの自信と実力があり、自身でワラビーズを見極め、戦術を選んだのである。

 サッカー界のスーパースター、デビット・ベッカムとのCM共演で話題になったSuperBoots・ジョニー・ウィルキンソンが大活躍したイングランドはワラビーズの堅守を正確無比な(ミスがなかった訳ではないが)キックで切り裂き、延長までもつれた100分間の大接戦の末ついに撃破、北半球初の優勝を見事成し遂げた。



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 五回目の挑戦にして、やっとエリス・カップはラグビー母国、イングランドに帰還した。
 イングランドが終始貫徹した、強力な重戦車フォワードと、スーパーキッカーに依存するラグビー・スタイルはやや古めかしくも感じられたが、純白の戦士達は母国の勝利のために信念を貫き通したのである。

 キャプテンのマーティン・ジョンソンが掲げた黄金色のエリスカップはイングランド時代の到来を高らかに告げる輝きを放ち、「世界最高峰のアタッキング・ラグビー」を誇る南半球の強国や、あるいは「退屈なラグビー」と酷評したすべてのメディアに対して、ディフェンス理論優勢の世界情勢をどう打破していくつもりなのか、改めて問うているかのようだった。

参考文献:
小林深緑朗『世界ラグビー基礎知識』株式会社ベースボール・マガジン社、2003年。
大友信彦『ザ・ワールドラグビー』株式会社新潮社、2003年。






Rugby World Cup Official Song "World in Union"
from 95's Ver


There's a dream I feel,
so rare, so real:
All the world in union,
the world as one

gathering together,
one mind, one heart,
Every creed, every colour,
once joined never apart.

Searching for the best in me,
I will find what I can be,
If I win, lose or draw,
there's a winner in us all,

It's the world in union, the world as one,
as we climb to reach our destiny,
Our New Age has begun!



We face high mountains,
must cross rough seas,
We must take our place in history,
and live with dignity,

Just to be the best I can
Sets the goal for every man,
If I win, lose or draw,
it's a victory for all,

It's the world in union, the world as one,
as we climb to reach our destiny,
Our New Age has begun.

Build the world in the union,
Our New Age has begun!!

 ラグビーワールドカップのテーマソング、「World in Union」です。
 ワールドカップのキャッチフレーズにもなっていて、会場内の色々な所にIRBの色である青と緑の配色で「World in Union」という文字が書いてあります。

 非常に荘厳なメロディにラグビーらしい素敵な詩がついていて親しみやすく、初めてワールドカップを観戦する人にも好評ですね。
 TV中継の後には必ずラグビー協会や放送局に「アノ曲、なんていうの?」「どこに行ったら売っているの?」といった類の問い合わせが来るのだとか。

私、夢があるの――
とっても貴重で、とっても誠実な夢
世界がみんなつながって、一つになるの
みんな一緒に集まって
一つの精神、一つの心――
すべての主義、すべての肌の色
一度にみんな入って来て
二度とバラバラになることはない
自分の中の一番を捜して
私は自分がなれるものを見つけるの
もし勝っても、たとえ負けても、引き分けでも
勝者は必ず私たちの中にいるんだから!
それは結合した世界、一つになった世界
そして私たちが運命に手を伸ばし
登りつめて行く時――
私たちの新しい時代が始まるの!

 開会式、閉会式はもちろん、各試合の前にも競技場にはBGMとして流れており、場の雰囲気をワールドカップらしく塗り替えて独特の緊張感を生み出しています。




 元々はホルストが作曲した「惑星」シリーズの中の「木星」の中間部分にオリジナルの詩をつけたものです。
 クラシックのファンならすぐに分かる場所だ、ということらしいのですが、ここの筆者はクラシックにとことん疎いので、あまり深くは突っ込みません(笑)。

 毎回、大会ごとに様々なアーティストが歌い上げており、様々なバージョンが存在します。
 また世界各国から未来のラグビーを担うであろう子どもたちをつれてきて、臨時の合唱団を作ったこともありました。
 CDも何枚か発売されていますが、どれもそれぞれに人気があり、一概に何年バージョンが最高! とは言いにくいところです。




 余談ですが、オーストラリアで第五回ワールドカップが終わった頃、日本で平原綾香さんという女性シンガーが「Jupiter」という曲を発表し、そのメロディがこの「World in union」と全く同じであったことから、「これはWorld in unionの日本語バージョンではないか!?」という誤解が一部ラグビーファンの間で急激に広まったのですが、彼女は原曲、すなわちホルストの「木星」から直接メロディを持ってきたようで、「World in union」とは特に関係ないようです。

 もし第8回ワールドカップ2011年大会が日本開催になったら、是非平原綾香さんには「World in union」も歌って欲しいですね。




 さて、歌詞の方ですが、タイトルの通り「人種や主義を超えて、みんな一つのユニオン(連合)になれたら良いね」という優しい語調です。
 注目すべきは6行目!

 「もし勝っても、たとえ負けても、引き分けでも、私たちみんなの中に必ず勝者はいるのだから!」

 そして二番の同じ個所、

 「もし勝っても、たとえ負けても、引き分けでも、勝利はみんなのものなのだから!」

 ――これ、すごい歌詞だと思います。もう一度思い出してください。
これはワールドカップのテーマソングなんです。

 4年もかけて準備して、この日のために競技人生のすべてをかけて、祖国に必勝を誓って出てきた選手たち。
 ある国は優勝を宿命付けられ、ある国はリベンジに燃えている。
 そんな選手たちにこのWorld in Unionは本当に大切なこと――憎しみあうのではなく、みんなで集まれたことを喜び、勝者を称えることの重要性を優しく力強く説きます。




 ラグビーは試合終了の事をタイムアップ(時間切れ)ではなく、ノーサイドと言います。
 これはサイド、つまり敵味方の区別がなくなった、という意味です。

 試合中は全力でタックルもしますし、時には相手を怪我させてしまうこともあるかも知れない。
 でも試合が終われば、私たちはまた敵味方の区別なく、同じ「ラグビー好き」に戻れる。一つのUnion(ユニオン)に戻れる!

 だから勝っても負けても、いつだって勝者は私たちの中にいる……ラグビーが決して失ってはいけない、綺麗事ではない大切な精神がそこにはあります。
 球技を楽しみ相手を尊敬するという気持ちがどれほど貴重で、どれほど価値のあるものか、みなさんもこの曲を聞きながら感じ取ってください。



 

December, 2003
September, 2004 若干修正
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