三囲神社 恵比寿神・大国神

所在地 墨田区向島2−5−17

三囲神社の由来
恵比寿神・大国神の由来

 

 以前は「三囲(みめぐり)稲荷」と一般に呼ばれていた墨東の古社です。草創年代については明らかでないのですが、社伝によれば、六百年ほど前の文和年間、近江国三井寺の僧源慶(げんけい)が東国を巡礼していた途中、隅田川のほとり、牛島のあたりを通りかかると、荒れ果てた小祠が目につき、農夫にその由来を尋ねると弘法(こうぼう)大師創建の由緒ある祠であるとのこと。源慶はそのさまを深く悲しみ、自ら再建に着手しようとして地面を掘ったところ、白狐に跨った神像が納められた一つの壷が出て来ました。

 そのとき、どこからともなく白狐が現われ、神像のまわりを三度めぐって、またいづこともなく消え去りました。この故事から「みめぐり」の名が起ったと伝えられています。

 境内には数多くの石碑が立っていますが、その中でも最も有名なのは、其角(きかく)雨乞いの句碑でしょう。

 「此御神に雨乞する人にかわりて 遊ふ田地(夕立)や田を見めぐりの神ならば 晋其角」と刻まれています。元禄六年(1693)は春から非常な旱ばつで、附近の農民は三囲の社頭に集まり、鉦や太鼓を打ら鳴らして、ただただ雨乞いをするばかりでした。そこへ俳人として高名な其角が参詣にきて、「夕立や‥‥‥」の句を献じたところ、翌日から雨が続き、農民の苦難は救われたと伝えられています。

 境内の一社に鎮座する大国・恵比寿の二神は、もと越後屋(現在の三越)にまつられていた本像です。

 

 恵比寿(えびす)神は、そのお姿が鯛を抱え、釣竿をもっていることで表わされるように、本来は漁師の神であって海のかなたから渡って来た豊漁をもたらす神として、深く信仰されてきました。

 室町時代頃から商業が盛んになってくると、市場の神となり、さらには商売繁昌の神としても信仰を集めるようになりました。古くから、俗に恵比寿・大国というように、一対の神として商家などに祭られ、それにまつわる信仰習俗も盛んです。七福神にとり入れられるときも、同じような御神徳を持つ神として、大国神と並んで崇められることになったのは、そのためであるといえましよう。

 七福神のうちの大国(だいこく)神は、大黒天ともいわれます。

 大国神は日本古来の神で、神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)と考えられていることが多いようです。また大黒天はもともと仏法の守護神として崇められていたインドの神ですが、仏教が中国を経て日本に伝わる過程で、台所を司る神として性格が加えられたようです。そして大国と大黒との読み方が同じであることや、御神徳が似ているところから、慈悲深く富貴を授ける神として混合され、信仰されるようになったのでしょう。頭巾をかぶり、小槌を持ち、大きな袋を背負い、米俵にのるお姿は、そのような御神徳を表わしているのです。